海外社会人留学における大学の選択
もう卒業して1年くらいになりますが、似たような問題意識の方やエントリーが増えてきたようで、当時を思い出して書いてみたくなりました。
最近は、欧米のビジネス・スクールが「海外進出」してアジアに分校を設置する動きが増えてきています。
私が通っていたシカゴ大学Global Executive MBAコースも、その流れに沿ったものでした。
ホーム・キャンパスはシンガポールにあるが、ほかにロンドンにも分校があり、本校のあるシカゴと合わせて、世界の3拠点で同じカリキュラムが少しずつ時間をずらして展開されています。
シカゴ大学は、金融工学・マクロ経済、政策立案などで有名ですが、そのベースになっているのは数学でした。ミクロ経済をベースにしたモデリング、統計学など、「ここまで数学使うか?」と言うところが、ほかの米国内の大学とも大きく異なるところだと思います。
もちろん英語は必須であり授業は英語ですべて進められるのですが、数学は英語に負けず劣らず「グローバルで生き抜くための武器である」ということを痛感したのも、ここでの経験でした。おそらく、同級生の中で英語はもっとも下手な部類だったと思うが、それでも最後まで生き残れたのは数学力のおかげであったと思います。
これが、もしもHarvardみたいなところだったら、「口から生まれた議論好きの集まり。発言して・論破して何ぼ」みたいなCultureに飲み込まれ、仮に入学できていても(多分できなかったと思うが)、毎日ノイローゼになっていたかも知れません。
佐川さんが「世界の大学ランキングを眺めて」 に、何通りかの各大学のランキングを紹介されていますが、もしも本気でどこかにエントリーすることを考えるならば、「自分にとってのベストはどこか」を考える必要があります。
日本の大学のように、「高偏差値の有名大学=お勉強秀才が集まる=どこでも安定して就職率が高い」とは限りません。ある程度の知名度があるところにいくのを前提とした上で、さらに、「そこの大学のウリが何か?、そのウリは自分にあっているか?」ということを意識していなければいけません。就職活動で、「君はなぜ、そこの大学を選んだの?」と聞かれて、「偏差値が自分の実力にあっていた」だけでは、あきれられてしまうでしょう。
私自身の場合は、在学中にちょうどリーマンショックに見舞われ、「行き過ぎた金融工学が悪の根源」の如く言われはじめたような時期だったのですが、内部にいた学生の立場から見ると、シカゴ大学は
- (金融工学のような虚業でなく実業としての)ベンチャー起業のためのFinance、
- リストラ、企業再生のためのFinanceと法務
など、新しい課目を増やし、得意の「Finance系カリキュラム」を時代に迅速に合わせていくとともに、第二の柱として「ビジネス向けの心理学」を選び、
- 組織論、行動経済学、マーケティングなどに反映するための心理学
- キャッシュフロー以外の心理的満足を加味した新たな経済学
を模索しているように感じました。
「人は数学モデルのように完全には動かない、市場は不完全だから失敗する」、「だったら、どういうロジックでどの程度完全なモデルから乖離するのか?を、統計学などを駆使して、やっぱり得意の数学モデリングで考察しよう」というような、心意気を感じました。こういうところは、「オリジナリティにこだわる欧米の教授陣気質」に依存するような気がします。
日本の大学は、この種の欧米の大学のように「特色を生かしたビジネスモデル、カリキュラム設計、大学としてのビジネス戦略」ということを、どこまで考えているのだろうか?一部の学校を除いて、「学際的な新分野」といいながら、どこかの総合大学を横目で真似しているようなところが結構多いような気がします。
折りしも、日本国内では「少子化による定員割れ」、「ゆとり教育見直し」など、大学を頂点にした教育制度にも見直しが入ろうとしているように感じます。
日常のビジネスではお客様の中に大学関係も含まれるのですが、「大学というビジネス・モデル」という観点から、やっぱり日本は、いつの間にか遅れていたような気がしてなりません。