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日本や日本人って何だろう。改めて「海外」を考えるヒントを身近な話題から

書評: 「日本をもう一度やり直しませんか」

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1ヶ月以上空白が開いてしまったが、このところ、「復興支援」という本業にも関係するということで、マクロ経済の本を立て続けに読んでいた。本書は、「ミスター円」と称された元財務官僚の方の著作である。

過去の歴史を整理・おさらいして勉強するには便利な書籍だったが、著者の経歴を見直して、「もう退官後10年以上も経っているのに、こういう発言出るかな?」と思うぐらい官僚寄りに見える記述もチラホラ。同じ(といってもレベルはだいぶ違うが)元霞が関の関係者として、気になったことを綴ってみた。

第1章 内向き日本の衰亡

ここはイントロで、目新しい話は感じなかった。統計データなどを持ってきて語る話で言えば、一人当たりGDPとか人口動態の年齢的分布などもっと突っ込んだ話があり、「デフレの正体」など他の書物の方が秀逸であろう。「政府介入の必要性、行き過ぎた市場中心主義への反省」というところが言いたかったところなのだろうとは感じるが。。

第2章 大きな政府で世界を目指す

「アメリカ化ではなく欧州に学ぼう、円高を利用して海外へ打って出るべし」というメッセージには同意できる。が、「だから再配分機能を担う大きな政府が必要」と言うには、まだちょっと距離があるという感じ。

  • 政治主導と言ったところで「素人政治家では結局何も決められない」ことが露呈したので、「官僚に任せておいたほうがうまくいく」
  • 日本人・日本企業に任せていても上手くいかないから、「役所主導でやったほうが早い」

という感覚は元役人らしい本音として理解できるのだが、「仮に正しいとしても、自分で語らず自然に世の中の人々に腹に落としてもらわないと、世の中変わらないですよ」という意味で、もう一捻り必要な気がする。

少子化に歯止めをかけたフランスの話にしても、人口ピラミッドのアンバランスや世代間公平・不公平の議論がないので、「この程度の理論武装では役所も完全じゃないし、やっぱり役所に任せても大丈夫なのかどうか疑問視されるのでは?」という不安感が先に立った。

第3章 脱欧入亜のススメ

インドや中国におけるものの考え方、相手国の官僚の意思決定機構などの紹介は非常に参考になる。
この辺は、素人では分からない情報がコンパクトにまとめられており、官庁の偉い人向けに作成された質の高いブリーフィング資料を読んでいるような感じ。
我々のような一般人の議論の質を高めるには、従来であれば意思決定者のみが知りえたであろう内部情報に近い話がこういう形で公開されることには大きな意味があると思う。

第4章 選ばれた「素人」としての政治家

地方議員の兼業化、専門家としての官僚を使いこなす提案 などは、たまたま、統一地方選の結果などを調べたこともあり、「元お役所勤務の経験者」としても共感できるところが結構ある。

が、一方で純粋に民間企業の世界しか知らない普通の人の立場の人々には、「また、元官僚が我田引水の理屈をつけている」と見られても仕方がないような気にもなった。

自分自身が霞ヶ関を辞めてもう10数年経過しているので最近はどうかわからないが、「官僚は本当に専門家なのか?」というところが引っかかる。
予算編成や法律作成という国家運営(とは言え、官僚的大企業の社内手続きのような霞が関内部事務)の専門家であることには間違いないのだが、どちらかというと「Super Generalistであって、専門家ではない」のが官僚だ。

政治家が多すぎるのも困りものだが、Super Generalist(もどき)の一般管理部門が多すぎても困るというのが一般企業での感覚であろう。

第5章 官の能力をどう使うのか

廃県置藩、道州制はナンセンス : 

多すぎるStakeholderや階層を減らさないと物事が決まらないという点では同意できる。「トップダウンを進めやすい環境を作るべし」というのが隠れたメッセージだと個人的には理解した。

実際、自治体クラウドなどで町村会の方々が合意形成して進めていく話を聞くが、「広域共同体」が藩の範囲に近いことは多い。一方、道州制の否定については、管理構造として、「じゃあ国が約300の藩を全部、直接、面倒見れるの? そのために国家公務員を増やすなんてナシですよ」と釘を刺したくなる。

行き過ぎた天下り規制: 

担当業界などへの再就職規制を緩和して”優秀な”元官僚を再活用せよというメッセージであるが、この「官僚=優秀という暗黙の前提」に、ちょっと考え込んでしまうのである。確かに確率論としては正しいような気もするが、官僚の優秀さの根源は、職務上多くの業界人や他社情報までを知りえる人脈的ハブ機能であったり、業界全体を俯瞰する視点、規制当局の意思決定プロセスやクセを知っているインフルエンサーとしての役割であろう。国民の税金でそういう経験知をたまたま積むことができた”特に優秀な方々”に対しては、その再就職は少なくとも最初の一回は、ドラフト制度のような平等性が求められるような気がする。

日本株式会社の再興 : 

日本株式会社=官民一体となった共同体(高度成長時代の通産省と製造業)のようなイメージ

民間と役所の中途採用を増やすべしというメッセージには同意できる。そういう意味では、中央官庁側がプロパー採用者の既得権益を捨てて、外部から中途での幹部採用を先に推進すべきような気がする。

実態としては、手弁当で作業させたり民間から出向を募るという形で似たようなことは既に起こっている。そのときの理屈は「官僚は専門家ではないから」というものであるため、出向者の業務は「調査係、主任研究員」のようなスタッフ的なサポート役にとどまってしまい、所管課の課長職のような業界全体をつかさどるポジションに着任することはまれである。一時的な出向ではなく、本格的な転職・転籍として幹部クラスの中途採用がない限り、本気度は感じられないだろう。

第6章 教育こそ市場化する

ここは全面的に同意したくなった章であった。著者自身が大学で教鞭をとっていることなども含めて、現場感のある記述になっていると感じる。
明治時代の教育改革から始まり、「ゆとり教育」に至るまでの経緯も、わかりやすくまとめられている。

大学教授が免許制でもないのに、「初等教育が医者と同じような免許制とはこれいかに」という指摘は、わかりやすく「ごもっとも」という気がする。

元商社マンが教える世界地理や世界史という例示のほかにも、元メーカーのエンジニアが教える物理・化学、金融マンが教える数学なども、「学校の勉強って、実は大人になって案外役に立つ」ということを知ってもらう上で、確かに面白いと思う。

子供の頃、「学校の勉強って本当に役に立つの?」と親や教師や周囲の大人に聞いても満足な答えを得られた記憶がないが、今の自分なら結構明確に答えられるという自信がある。似たような大人は、最近は意外に多いのではないだろうか?
中学や小学校の先生という職業が、一般の会社員とのインターン制度などを含めてもっと流動性を持つことで、授業の教え方も変わってくるのではないだろうか。

第7章 失われる国際競争力

株式持合い時代の日本的経営から、80年代後半のプラザ合意に至る円高、日米構造協議の頃の話は、やはりコンパクトにまとめられており、「おさらい」としては理解しやすい。
が、現象面の指摘に終わっており、結論らしきものは、「ボトムアップなどの良いところを残しながら、グローバル化、デジタル化を推進する」というお題目レベルに終わっているような気がする。

「ボトムアップを残すと何も決められず、スピードをもって物事が進まない」というのが、今の日本社会の問題点として、巷間、言われている。
グローバル化とボトムアップは両立可能だとは思うが、「デジタル化=モジュール化=情にとらわれず入れ替え自由」 と言うところは、組織論から日本人的文化論にかかわってくるのでそう簡単に両立できないという困難さを理解されているかどうかが気になる。

第8章 成熟国家の新しい開国

日本は欧米の先を行く課題先進国であり、誇れるものは「自然、環境」というものしかない。でも、これが大きい。大きいと認識させることが重要

一方で雇用や年金の現実問題を考えると、世代間平等・不平等の話に言及せざるをえないと思うのだが、そこまでには踏み込まれていない。
「安全、健康で長寿」なのはもちろん良いことなのだが、その維持コストを若い世代から搾取するようなモデルでは、海外に対して誇れる「日本型モデル」とはならないだろう。

新エネルギーなどは率先してやらねばならない。今回の震災は、日本人全員にそういう踏ん切りをつけさせるためのものだったような気がする。

発信が必要であり、英語を第二公用語化して国外への情報発信を推進するのは賛成である。私自身が本ブログをはじめたのも思いは同じである。

「結論」

目指すGoalや提示されたアイデアには合意できるものは多い。が、その実現へ向かうプロセスについて、利害関係者の損得を考えながらでないとパズルは解けないのだが、そこまでのヒントは少なかった。

今、皆が悩んでいるのは、この「利害調整プロセス」である。
誰もが損しないように問題を解くのは不可能だ。次の世代にツケを回すのか。既得権益者が腹を括って、損をかぶりながら次世代に希望を残すのか。どういう解き方をするにしても、必ず誰かにしわ寄せが行く。。。我々の世代も、この踏み絵を踏まされているという自覚が必要だ。

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