「0(ゼロ) X ∞ 」型のリスク判断が難しいのは、ネットの世界も原発問題も同じ
経営学の世界におけるポートフォリオでは、確率論で言うところの「期待値=発生確率 x 実現した場合のインパクト」 でリスクは判断される。
その際、フィジカルな(クリック&モルタルのモルタル側)では、大抵は「正規分布に則って」という仮説が入り、平均値から前後3シグマ(標準偏差)で99.74%がカバーされるから、「当面はこの範囲で物事を考えれば十分」という習慣になっている。
ところが、バーチャルな(クリック側の)ネットの世界では、ご存知「Long Tail」のおかげで、この「3シグマから外れた世界」が馬鹿にできない。
0.26%以下の確率であっても、(良くも悪くも)大当たりしてしまうことがある。
例えば、
- Web空間上に無数にあるブログ。これらのどこかで炎上が起こる可能性は、どのくらいあるだろう?
- Twitterで誰かが風評被害の元となる「裏づけのない妄想」をつぶやく可能性は如何に?
- そのうち、「自社に関係があって被害が及ぶ炎上が起こるリスク」をどうやって把握すればよいだろうか?
大企業の場合、まずは「リスク把握の一歩」として、誰がブログをやっているか?という総数の把握から入るであろう。
そのほかには、Search Engineなどの分析ツールを駆使したり、時折、「2ちゃん」を覗きに言って「自社の評判を目視で確かめる」ぐらいのことは行われるであろう。
こういう活動により、最悪の場合のリスクの「桁数」が把握できる。最終的には、ブランドイメージの低下などにより、「数年間、数%の売り上げが低下する」という予測値になるであろう。
一方、発生確率の方は、ある意味「考えても仕方がない」が、それでも考えなくてはいけない数値だ。運悪く起こってしまえば、当事者にとっては「既に確率100%、与えられた確定条件」になってしまうのである。
また、その気になれば、「鉛筆を舐める」ことのやりやすい数値でもある。
むしろ、どこまでの範囲を考慮するかという「意思が反映される」政策変数であると言ってもいいだろう。
そこで、∞の側を実際の数値(せめて桁数)で把握することが重要だ。
これは原発問題も似たようなものであると考える。
事故リスクについては当然ながらゼロを目指す。例えば宮城県で震度5以上の年間の地震発生件数は2001~2010年の10年で 12回=1.2 回/年。
震度7以上に限定すると、過去10年くらいのデータでは発生確率=ゼロになってしまうが、歴史的事実を振りかえり
- 貞観地震(西暦869年)を考慮し、今年起こる確率として考えれば、約1200年に1回と考えて、1/1200≒0.1% (今回の震災で、2倍の確率くらいになるかも知れないが)
- 今日起こる確率と考えれば、さらに1/365 で、 2.3 x 10-6 = 「パーセントの1万分の1」くらい
と、時間軸を短く切ったり、過去の歴史を振り返る範囲を調整することで「限りなくゼロとはいえ何らかの数値」に考えていくことは出来る。
どのくらいの時間軸をとるのが正しいかは、判断したい行動による。
- 震災前に、「本日、福島を訪問すべきか?」というぐらいの話であれば、ほとんどの人が、リスク≒ゼロと考えたであろう。
- 震災前に、「3年間、原発のそばに単身赴任するか?」というくらいの話であれば、年間の話なので、0.1% の桁数でリスクを考えねばならない。
実際には、地震だけでなく津波や人為的操作ミスによる原発事故の可能性も考慮するため、事故発生確率のほうはもう少し高い数値になるだろう。
そして、一旦事故が発生した場合のインパクトは、これまた甚大。
経済価値を考える場合には、∞と思われるインパクト側をできるだけ正確に抑えるのが早道であろう。
このインパクトについても、風向きによる運・不運、風評被害、計画停電による生産活動の停滞などを入れるか否かなどで、想定される影響は大きく異なる。
結果のインパクトについては、何千億円なのか何十兆円なのか、結局は、桁数とその幅で抑えるしかない。
被害者の方々には申し訳ないが、ひとまず冷徹な机上の計算として被害者数(志望者、行方不明者、退避者の合計)を15万人と想定し、最終的に1人平均1000万円の補償と勝手な数字を仮置きすると、計算上は1.5兆円くらいの規模の話になる。
問題は、発生確率の想定の方である。
貞観地震という歴史的事実を考えれば、どんなにゼロに近くても、ゼロではない。
チェルノブイリのような人為的ミスも考慮すると、やはり発生確率はゼロには出来ない。
「過去に経験のある最大値を考える」ことは、「真に未経験の世界=想定外の世界」を想定することとは全く異なる話である。
そして、次にゼロに近いほうの桁数と∞に近いほうの桁数との組み合わせである。
(千億円~十兆円)X0.1%=1億円~100億円 のリスクとなれば、エネルギー政策として原発のもたらす効果と天秤にかけると、確かに微妙な線なのかも知れない。
同じような原発が国内に50台近くあるので、リスク負担は総額で大きい桁数の方で見て、100億円X50台=5000億円くらいの規模。
これを、薄く広く受益者負担として「国民は、税金とか、電気料金に上乗せされる災害時補償積立金として負担せよ」という議論も、規模感からすればありえない話ではない。
国民1人あたりで言えば、追加負担は4000円/年くらいの話ということになるのだろう。
原発が1台増設されるたびに、この追加負担が80円/年くらい(世帯あたりの電気料金だと4人家族で320円/年くらい)が上乗せされていくような覚悟が必要だ。今回の計画停電や夏場の電力不足に備えた節電対策で強いられる不便と、この追加負担(+実際の電力料金)を天秤にかける話となる。また、既にこの追加負担は電気料金に上乗せされて徴収済であり、「(会計上の義務はなかったにせよ)積み立てておくべきものが利益処分されていた」ということならば、利益処分にあやかった株主・従業員・経営者らが相応に責任分を負担するという議論も出てくるのであろう。
最終的に、リスクをとるかどうかの判断は意思である。そのためにも、多少強引であれ数値化して考えることが必要だ。
限りなくゼロの世界も、限りなく無限大に近い世界も、無理やりにでも数字に置き換えない限り、リスク判断について心情的な議論から話を前に進めることはできない。