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日本を環境立国にするために、ITベンチャーを飛び出して起業しました。

建築のジェノサイドに抗う、女性的な場所

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東京という街は結構巧妙にできていて、丸の内の隣に神田、新宿の隣に大久保、渋谷の隣に原宿といった感じで、男性的なビルが立ち並ぶ街の近隣に女性的な生活感を醸し出す街を配置してきた。それは歴史的には、都市計画とそれを担う労働者向けのドヤ街という文脈で説明できるのだけど、そういったバランスの上に成り立ってきた都市は転換期を迎えている。

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 美しい日本の街並みが急速に失われつつあるのは鎌倉だけではない。京都ではこの30年ほど、「建築のジェノサイド」ともいうべき暴挙が行われてきた。取り壊された町屋はざっと10万軒に上る。おまけに昨年には、憩いの場である梅小路公園の真ん中に巨大な水族館が建てられた。サンディエゴにあってもマルセーユにあってもおかしくないような水族館を、よりによってなぜ京都に建てたのか。

 東京はもはや暮らしやすい都市ではなく、「洗練された平壌」を目指しているようだ。まるで行進する軍隊のように超高層ビルが整然と立ち並ぶ都市である。私が住む新宿区富久町はかつては2階建ての家々が並び、木立が目をなごませる住宅地だったが、今では55階建ての超高層マンションが完成しようとしている。

 こういう建物を建てる会社の経営陣は、高層建築が規制されている田園調布のような高級住宅地に住んでいる。よその地域の暮らしや文化を破壊して、自分たちは優雅に暮らすというわけだ。

 日本は「クールジャパン」と称して、独自の文化を盛んに世界に売り込んでいるが、独自の文化を本気で守る気はなさそうだ。今の政府は自国の伝統に誇りを持つことを旗印に掲げている。安倍晋三首相は「美しい国、日本」をつくると誓った。ならば、歴史的・文化的に価値ある地域を不動産開発から守るべきだが、政府はそうした努力を怠っている。


まず東京の中でもっとも個性的と言われる秋葉原では、ジャンク屋が立ち並ぶ戦後の闇市そのままな空間の横に近未来的な高層ビルを建てた。アートを志す若者が集まる下北沢は、小田急線が地下化されてその後の空間では4車線道路を中心とした街づくりが進められている。この勢いで、巣鴨や高円寺、浅草といった独特の雰囲気を醸し出す街が浄化されていくのだろうか。


都市にとって女性的な場所が必要だと思うのは、負けることや後退することといった機微に対する母性や寛容を人間誰しも求めているからだと思う。どこもかしこも男性的な、経済的成功を目指そう!どんどん自己成長しよう!といった場所しかないと息が詰まってしまう。


東京を訪れる外国人がどの街を目指すかといえば、やはり上述した女性的な街だ。恐らく、日本が目指すべき方向性というのもその方面にあって、いかに上手く負けられるかを世界に先駆けて実践できる国というのが、この世界の男性的なチキンレースから抜け出す鍵になってくると思う。


建築家・隈研吾さんとジャーナリスト・清野由美さんが、TOKYOに残る個性的な街を歩いて、新たにできつつある"ムラ"について論じている。ムラとして登場するのは、下北沢、高円寺、秋葉原、そして小布施。

個性的な街が生まれたのは、歴史的経緯と周辺地域とのバランス、あるいはそこに街を形成するようなキーパーソンが存在していたから。現代の都市再開発はそのような個性や独自性をなるべく見出さない形で、経済効果や効率性を突き詰めてつくられているので面白くないのは当たり前です。

それでもムラというコミュニティが根強く存在しているのは、日本人の精神性にフィットした粘着質な考え方が根強いからであり、宗教観や社会論の見地からも様々な議論が呼び起こされていきます。そういった多面性を包括した街というのは非常に面白いですね。

グローバル化とは不可逆的な流れですが、それによって日本のローカルが崩壊していくというのは、ちょっと短絡的な思考です。むしろ、グローバル化の影響を上手く取り込みつつ、都市のなかでムラが進化していくことで、また違った内側からの視点が出てくるのではないでしょうか。実際に日本の若者は内向きになっていると言われていますが、それは改めて日本の良さを見直そうというムーブメントに他なりません。

地方経済は疲弊していると言われていますが、それもグローバル経済という指標で見ているからであって、そこに生きる人々は実際にはたくましいです。都市における競争社会において技術的・文化的に洗練されたモノの見方やプロジェクトのススメ方を身につけた若者が、それぞれの地域に入っていくことで地方も変わっていく、そんな胎動があちらこちらで始まっています。
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