生き心地の良い町
徳島県海部町(現海陽町)、日本でも突出して自殺者の少ない地域です。自殺の原因は病苦や生活苦がほとんどを占めていると言われますから、この地域は“生き心地の良い町”として、何か特徴があるに違いありません。
そう思い立って現地ヒアリングを通じて自殺の少なさの要因をリサーチした筆者の記した内容は、地域の包摂力というものを考える上で傾聴に値すると思います。①多様性の許容、②人物本位の評価、③自己有能感、④セーフティネット、⑤緩やかな連帯と、地域コミュニティを語る上では当たり前のようなキーワードが並んでいますが、海部町のそれは非常にユニークだと感じました。
海部町の住民は必ずしも幸福感を感じているわけではなく、むしろ生活満足度や所得水準などは全国平均を下回っています。しかしかといって不幸だと思っている人も少なくて、要するにほどほどの暮らしをしているとみんなが思っている地域なのです。
もともと水運が発達して地域コミュニティが形成されていったという地理的事情から、様々な出身の様々な身分の人たちが狭いエリアで身を寄せ合って暮らしてきた歴史的経緯は、人を色眼鏡で見ない、関心は持つが監視や干渉はしない、弱音を吐くことをネガティブに捉えない、年長者だから地位が高いからと言って意見が通るわけではないといった、自由闊達なコミュニティの意思疎通を生み出しました。
逆説的に捉えれば自殺率の高い地域というのは、長年にわたって家や隣近所の関係性が固定され、失敗すれば一族子孫にまで迷惑がかかり、出自や家系によって発言力が決まるといった、保守的に抑圧された閉ざされたコミュニティと言えます。急峻で冬には雪で閉ざされる地域において自殺率が高いという研究結果は、この要件を補強しています。
他方で、この海部町のエッセンスを各地域で取り入れれば全国で自殺が減るかと言えば、そうではないでしょう。むしろ、自殺をするような人の特徴として、責任感が強い、勤勉、周囲の期待に応える、全体の調和を考えるといった、人間としては気高い立派な生き方をしていると言えます。そしてこの生き方への価値観というのは、その土地の文化や育った環境によって規定されるもので、その地域の個性とも言えるものです。
即効性のある話ではないものの、海部町の地域コミュニティの良いところを取り入れて、自分たちの地域の包摂力を高めていくというアプローチこそが王道なのだと感じました。「一度目は許したれ」「人に強制するのは野暮なこと」は、それぞれの地域の保守性を打破する上で重要な金言だと思います。