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日本を環境立国にするために、ITベンチャーを飛び出して起業しました。

都会と田舎の間にあるショッピングモール

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個人的に飽きている「都会か田舎か」という議論。そんな二項対立できるものではなく、東京の都心から岡山の限界集落まで、その間のグラデーションを様々に見てきたからこそ、バランスの問題なのだと考えています。


ついでに最近よく聞くのが、大きなショッピングモールができて地方都市が金太郎飴状態になっているといった話で、これも表面的にしか地方の文化やライフスタイルを見ていない見方ですね。確かに「消費」という一面においては、生活に必要な最低限のモノはショッピングモールで揃う便利な時代です。

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日本の町が面白くなくなった、どの町も同じような顔つきをしている──そんな声をよく耳にしますが、状況はなかなか変わらず、人通りの途絶えてしまった商店街も少なくありません。一方、ヨーロッパあたりの小さな町では、ウィンドウショッピングしながら散策を楽しむ人々の姿を見かけます。同じように経済発展を成し遂げた先進国でありながら、こんなにも町の風景が違うのはなぜでしょう。


物質的に飽和している現代社会において、「消費」するものは「時間」にシフトしています。自分の限られた時間を誰とどう過ごすのか。そしてその余暇時間を最大合理化させるためにはどうすれば良いのか。ライフスタイルのパラダイムシフトを考える上で、物質的に「消費」が画一しているからと言って、そのショッピングモールに集う人々の使う「時間」が画一化されているわけではありません。


個人的にも最近は地方都市をフラフラするにも、駐車場があってある品質が担保されたメニューがあってWiFiが使えるという条件で、ショッピングモールに立ち寄るケースが増えています。そこでは別に買い物するわけでもなく、むしろそこを起点にしてその地域の面白い人に会ったり、特徴のある地域産品をリサーチしたり、その地域の玄関口として利用しています。


ショッピングモールに入っているアウトドアのブランドを見れば、その地域の人たちがどんなアクティビティに関心を持っているのかが分かります。シネコンで上映されているタイトルをチェックすると、その地域にはどんな層の住民が多いのかが分かります。それぞれマーケティングした結果が先鋭的に反映されている場所として、ショッピングモールは非常に面白い場所です。


先日も北関東のショッピングモールに行ってみたのですが、シネコンでその地域ゆかりの監督の作品が上映されていたり、その土地の名産品をアレンジしたパスタがレストランで提供されていたり、大枠での没個性の中に地域性を感じることができました。恐らく名古屋のレストランにいけばあんかけスパゲティが食べられるのでしょうし、岐阜のシネコンでは『ふるさとがえり』の上映がされているのでしょうね。


最近は東京でも、スタバに行ってシネコンで映画を観てといった余暇の過ごし方が多いです。そこそこの品質を担保してもらえる地方都市の暮らしというのが、実は大量生産大量消費社会の次を見据えた最先端なのではないかという仮説を検証してみるために、しばらくこの辺りをフィールドにしてみることにします。


日本でもっとも幸福なのは、郊外に住む若者なのかもしれない。刺激は強いがストレスも多い大都市、自然は豊かだけどしがらみもキツい田舎、そんな二項対立の構図のちょうど間にスポット的に登場したのが郊外なのである。

仕事は低賃金だけれどもそこそこに、夜や週末は気の合う仲間とモールやファミレスで過ごし、家族とも仲良く同居しているのだけど車で移動するので地域コミュニティとの関係性は薄い。そんな郊外の若者像を切り取り、ほどほどにパラダイスな状況を解説している。

新書なので軽く読める感じであり、またアンケート自体を個人的に馴染みのある岡山県内で行なっているせいか、いろいろ具体的な人たちの顔を思い浮かべながら頷ける部分も多々あった内容だった。一方で面白おかしくするためにJPOPなどの時代背景を引っ張り出してくるのは良いアイディアだと思う。

■80年代 BOØWY(反発の時代)
氷室京介、布袋寅泰たちは地元を中心に、管理したがる大人社会への反発がテーマとなっていた。若者たちはいつも何かから逃げて解放されていた。漫画で言えば『シティーハンター』『北斗の拳』のように絶対的な悪と戦うことでカタルシスを感じさせるものが多い。

■90年代 B'z(努力の時代)
稲葉浩志、松本孝弘たちはとにかく自分が高みに登っていくことで自由になることを説く。若者は何もない地元を捨て、マゾヒスティックに戦い続けることで自分らしさを獲得する。漫画で言えば『ドラゴンボール』『スラムダンク』のように、自分を高めることでより強い相手と戦うことになる。

■00年代 Mr.Children(関係性の時代)
桜井和寿の詩はギラギラした反発や努力とは決別し、周囲に感謝することを説く。男女同権となって母性は弱くなり、女性は癒すものでも守るものでもなくなり、不安定な時代に対してともに歩いていくパートナーとなっていく。漫画で言えば『るろうに剣心』『ワンピース』のように、仲間を守り協力していくことで強敵に立ち向かっていく。

■10年代 KICK THE CAN CREW(地元の時代)
KREVAは仲間へのリスペクト、地元への愛情を恥ずかしげもなく歌う。都会に出ていくことはほとんどなくなり、むしろ地元を守りながら仲間と夢を叶えていくことで、自らのアイデンティティを獲得していく。漫画で言えば『NARUTO』『進撃の巨人』のように、自分たちのテリトリーを脅かす相手を仲間と協働しながら守っていく。


80~90年代に地元から逃げ、故郷を捨てていった若者たちは、再び地元に戻り始めている。しかしそれは必ずしも旧来の地域コミュニティと密接に関わっているということではなく、むしろ自分と同年代の気の置けない仲間たちのみで集まり、ちょっと離れたショッピングモールに出かけるといったライフスタイルが主流となっている。

そんな郊外で外の世界と隔絶した暮らしを送る地元志向の若者たちが、ホントの意味での地元振興に目覚める日は来るのであろうか。そのタイミングとなるのが子育てであり、スクールカーストのようにギャルが最上位になっている時代において、女性から地域コミュニティと繋がりはじめるのではないかという予測は至言である。
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