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避難弱者:あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

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福島第一原発が水素爆発したとき、周辺の高齢者福祉施設ではどのような事態が起こっていたのか。「原発事故で亡くなった人はいない」という失言をした政治家がいたが、実際にはこの事故がきっかけとなって避難や慣れない土地での暮らしを余儀なくされ、結果的に命が短くなった方々が大勢いた。

避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

デイケア、養護老人ホーム、特養、、普段の自分の生活から聞き慣れない施設名が並び、これら高齢者福祉施設での活動が暮らしから乖離している事実に気づく。そして原発があったからこそ、その地域に多くの高齢者福祉施設が建てられた現実がある。そこにいる高齢者たちは、生活するにも介助や支援が必要である生活弱者であり、さらに緊急時に避難をする際には“避難弱者”となる。

高齢者福祉施設に勤務する人たちは、あの日、大地震と津波、そして原子力発電所の事故という過酷な状況に遭遇し、自らも家族が行方不明になる等の被災者であったが、“避難弱者”である入居者たちに寄り添い、二転三転する避難先で衛生状態悪化や物資不足に苦慮し、最終的に受入先を見つけるところまで奔走した。

一方で高い放射線量を計測しながらも、高齢者を無理に移送する方がリスクが高いと国や自治体の命令を無視して残った施設もあった。果たしてどちらが正しい選択だったのか、我々がその場に居合わせたとしてもそれを判断できる自信も根拠もまったくないだろう。

高齢者福祉施設に入居している方々にとって、国や自治体の勧告にしたがって安全なところまで避難し続けることは、別の見方をすれば見知らぬ土地で赤の他人に迷惑をかけ続けるということである。人間にとって、住み慣れた故郷で人生を全うしたいと想うことも、尊厳を満たす考え方である。

人道か尊厳か、命の軽さか重さか、避難か故郷か。非情なる現実のルポを通じて、人間の生き様と業が垣間見える。

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