労働という名のワクチン
<この国はどこへ行こうとしているのか>それは、「いろんなものが自分たちの世界から遠ざけられて存在しているため、見えなくなっている」社会だ。電気は身近でも、原発の姿は東京からおぼろげで、事故が直ちに暮らしに影響するという感覚はなかった。テレビやパソコンも身近だが、ものづくりの現場は遠い。経済を大きく回そうとするほど、システムは複雑・巨大化する。その揚げ句、リスクの実態が伝わりにくい「原発」的なものが、この世に満ちた。
今回の原発事故が浮き彫りにしたのは、自ら制御も判断もできない巨大システムに身を委ねていることへの不安だった。「私たちの手が届かないものが爆発すれば、その処理は専門家に託すしかない。もう東京電力も国も信用できないと思っているのに『がんばってください』とお願いするしかなかった」
巨大システムの迷路の前には、情報さえ無力だった。
昨年の3月11日にその脆弱性を明らかにした巨大システム、不安を隠せない国民をよそに、原発事故などへの対応を国や電力会社の判断に依存しなければいけないというジレンマを未だに解消できていません。
国や電力会社をいくら批判したところで、床屋談義にすぎません。安全性が確認できていないのに再稼働なんてあり得ない!と正論を投げかけデモをしたところで、それは巨大システムに生活基盤を依存した上での行動というパラドックスを抱えています。
「『便利』とは、身体を使わないということである。現代社会はできるだけ身体を使わないで済む『便利』なものを、疑うことなく受け入れてきてしまった。(中略)この『便利』というウイルスは、一度生活に入り込むとなかなか元には戻れない手強いウイルスなのである。」ーテマヒマ展 佐藤卓氏のメッセージより
便利になって失われたもの、それは身体性です。食べ物が腐っているかどうか匂いを嗅ぐのではなく賞味期限を見るようになる、暑さ寒さを感じたらエアコンのスイッチを押す(最近のビルは中央でコントロールされている)、いずれにしても本来、身体に備わっている感覚を使わないで誰かの決めたルールに従うようになっているのが現代人の悲しい性質です。
このような状況に違和感を持つ人は確実に増えています。私の周りでも、土を耕してみたい、木を切ってみたいと問い合わせしてくる人たちが多くなってきました。「労働という名のワクチン」で自らの身体性を取り戻し、頭だけではなく身体全体を使って考えるという機会をなるべく提供していきたいと考えています。
7月21日(土)14時~15時30分に、六本木東京ミッドタウンの21_21DESIGN SITEで開催されている「テマヒマ展」のなかで、内山節先生を招いてのトークショーが開催されます。私も参加する予定です。便利の象徴とも言える六本木のビル街のなかで、東北の素朴なテマヒマをかけたものに囲まれてどのようなお話が聴けるのでしょうか。楽しみです。
テマヒマ展:トーク「労働という名のワクチン」
http://www.2121designsight.jp/program/temahima/events/120721.html
当エントリに関連する過去エントリは以下のとおり。
日本が発展していく、3つの理由
政治不信に別れを告げ、統治を創造する。
江戸時代は日本で最初のグローバル化社会
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