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江戸時代は日本で最初のグローバル化社会

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「カムイ伝」が大学講義の教材として使われています。江戸時代を考える上で、カムイ伝に描写されている民俗や文化が非常に参考になり、私たちが一般的に抱いている階級社会、鎖国、町民文化といったイメージと異なった世界が見えてきます。


江戸時代は士農工商に分かれ、さらに穢多・非人といった被差別民がいたと言われています。でも、これらは差別というよりは職能で分かれていた意味合いが強く、当時は動物の皮革を武具のために使っていたために穢多を皮革職人として区別していた事情があります。また非人も、死んだ牛馬を解体する重要な役割を担っており、これらの人民の役割は他の階級にとって不可侵なものだったといいます。


同様に、江戸時代もっとも鉄砲を保有していたのは農民だと言われており、獣害対策や冬季の狩猟に使われていました。一揆や強訴によって迫る農民に対してあくまで平和的に解決しようとする武士というなんとも矛盾した関係が描かれており、太平の世の中で非生産階級となってしまった武士の弱体化が見られます。


江戸時代は、着物を中心に文化的な発展が見られた時代です。それまでは麻や絹が中心だった布織物に対して、中国から綿花が輸入されるようになります。その綿花を取り仕切っていたのがオランダであり、やがて中国からインドに綿花の生産国が移るに連れて、日本国内においても洒落たデザインの綿織物が出回るようになります。


国内では金山・銀山をはじめとした鉱物資源開発が進められ、幕府はこれらの鉱物資源を直轄地として支配しながら貿易を長崎に制限することで、綿製品の輸入を一手に管理することになります。一方で各藩は、自国領内での綿花栽培を奨励し、幕府からの綿製品による経済的な圧迫から逃れようとします。


つまり、日本の国内政治も西欧による大航海時代や産業革命の影響から無縁ではなく、むしろ鎖国によって情報統制することで幕府がグローバル化を上手く国内支配に繋げていたことが分かります。明治維新はむしろ国内の鉱物資源枯渇による購買力減少が原因であり、産業の高度化の必要に迫られた歴史的帰結と考えることができます。


このような歴史を振り返るにつけ、物質的なグローバル化から金融的なグローバル化へと変貌を遂げている現代の国際社会においても、同様のケースが起こっていることが分かります。つまり、護送船団方式によって守られた日本の第二次産業を中心とした労働集約的な産業構造が限界を迎えており、金融や情報の分野でまた産業の高度化の必要に迫られています。


このような時代において、一般大衆はどのように自分たちの身を守っていたのでしょうか。それは、生活に必要な最低限の衣食住を内製化し、サツマイモのような飢饉対策の作物を栽培し、漁業技術を発達させて、森林からの恵みによって生き延びたのです。


グローバル化社会において、農村回帰や第一次産業振興といった分野に注目が集まるのは、当たり前なのかもしれませんね。


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