[書評]福島原発の真実
1988年-2006年まで、5期18年の間福島県知事を務めた佐藤栄佐久前知事による、東京電力や経産省との原発政策を巡る攻防が描かれたノンフィクション新書です。福島第一原発の事故は天災ではなく人災である、そんな原発全体主義政策が透けて見える内容となっています。
2011年3月11日に東北の太平洋岸の広い範囲を襲った大津波は、福島第一原子力発電所の電源を喪失させ、メルトダウンと放射性物質の拡散という未曾有の事態へと現在進行形で被害が深刻化しています。しかし実は、1989年には福島第二原発で部品欠落事故が起きており、また1999年には東海村JCOでの核燃料臨界事故、2002年には福島第一・第二原発で検査記録の改ざん、2004年には福井美浜原発での蒸気漏れ事故、2010年には福島第一原発で電源喪失事故が発生と、国内の原子力関連施設では事故が相次いでいます。
このように安全・安心とはほど遠い状況でありながら、原子力政策は経済産業省と資源エネルギー庁の一部官僚の思惑によって、自治体や地元住民の不安の声などを顧みることなく国策として推進されてきました。どうして原子力政策はこのような事故を起こしながらも性急に推し進められなければいけないのか?そこには大きく3つの理由が隠れています。
1.電力会社のコスト構造
電力会社は民間企業とはいえ、国策に基づいて電力を安定供給することが求められます。電力会社の事業は、基本的にはコストが積み上げられた上に一定割合の利益を乗せて事業計画がつくられます。つまり、電力会社が永続的に成長していくためには永続的にコストが増大していく必要があり、常に新しく発電所など設備を新設していくことで見かけ上の民間企業としての株主資本主義構造を維持できるのです。
2.プルトニウムを持たない国
日本は核不拡散条約上、核兵器の原料となるプルトニウムを持たない国として使用済核燃料を処理することが義務づけられています。当初は高速増殖炉「もんじゅ」でウラン燃料をリサイクルするためにプルトニウムを消費する計画でしたが、1995年のナトリウム漏れ事故によりこの計画は頓挫しました。そこで、プルサーマルでそれぞれの原発にMOX燃料を使うことでプルトニウムを消費しようと考え、検査も不十分な原発の運転を急いだのです。
3.電源立地自治体に対するアメとムチ
原発などが建設されている自治体に対しては、電源三法交付金と言われる補助金と固定資産税という、莫大なアメがバラ撒かれます。一方で、電源三法交付金はハコモノに限定して使途が定められており、ゼネコンと結託した政治家のムチに従って誰も使わない公民館やスポーツ施設などが建てられます。固定資産税は減価償却が進めば18年で自治体に入らなくなるために、電源立地自治体からは常にこれらのハコモノを建て直す要求が電力会社に提案されます。
これらの構造によって原子力政策は常に進み続けるしかない、手段が目的化した全体主義へと変貌していきました。東日本大震災であれほどまでに重大な事故を起こしておきながらも、未だに原発を再開しなければいけないという論調が根強いのはこれらの利害が大きいからです。
それでも、すでに潮目は変わりました。玄海原発でのやらせメール事件がマスコミにあれほど大きく取り上げられたのも、もはや原発は死に体であると多くの利害関係者が認めた証拠でしょう。もちろん、原発が稼働しないことで産業用途を中心とした電力は不足し、日本経済がどんどんシュリンクしていくことが予想されます。所得に占める電気料金や税負担が増加することで、生活困窮者も増えるでしょう。
これからの10年は我慢を強いられることでしょう。でもその先に見える未来を見据えて、原発に頼らない社会を一歩ずつ創っていくことが、今を生きる私たちに求められる所作だと思うのです。
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