オルタナティブ・ブログ > 代替案のある生活 >

ITの技術や方向性考え方について別の選択肢を追求します

「外資系」ということの、優越と憂鬱 「出ない杭は、腐る」

»

大木さんが、「外資系勤務は看板?」というブログを書かれ、コメントしたのだが、正直に言うと「看板」ではない気がする。看板は私自身、「外資系」というのは形容詞かなあ。外資系な私?!

他のブログでも、私は大学から外資だ、って書いた。アメリカ人のクリスチャンたちが、太平洋戦争後、荒廃した日本にキリスト教を基盤とした、リベラルな(自由主義の)人材を育てる事を目的として設立した大学だ。卒業して日本アイ・ビー・エムに入り、いまはサン・マイクロシステムズなので、人生の半分以上、外資である。

外資というより、日本的な組織に馴染めない、ということだと思う。この辺に、外人崇拝的な雰囲気が出ていて、嫌らしい感じがする。アメリカかぶれというか、妙な英語を言葉の端々に入れて、小指立ててるような感じだ(なんで、小指立てるのか、は、意味無いです。ただの雰囲気ね)。日本の組織にいるひとには、嫌なやつに見えるのだろうな、と思います。

■■■
日本的な集団の特徴は、「和を尊ぶ」「なんでも、話し合いで解決する」。悪い面では、「出る杭は打たれる」「村八分」だろうか。私の観察では、日本的な集団の特徴が出やすいのは、意志決定の場面だ。誰が決めるのか、よく分からない場合がある。

稟議を通すのに時間がかかる事とか、お客様に言われたりするのだが、だいたい、稟議って、何なの?長い会社生活の中で、数多くの重要な意志決定はしたが、稟議書なるものは、一度も書いたことがない。はんこ、持ってないしなあ。

意志決定者がたとえば本部長と決まっていれば、その部下や隣の本部長や上司に当たる執行役員は、口出し無用のはずだ。でも、日本では違いますよね。その辺の感覚がね、わからないのだ。「なんでも、話し合いで解決する」からなんだろうけど・・・。

日本の組織だと、ひとり目立ったり、人と違うことばかりするのは疎外されますよね。「出る杭は打たれる」。そうじゃなくて、自分の特徴を充分に発揮する。自分のユニークな所をアピールする、って大事だと思う。私は他の人とは違います、そういったデコボコな人たちが集まってチームを作るから、面白い、と思うのだが。

■■■
意志決定やこの個人のユニークさを尊重する風土の卑近な例として、この、オルタナティブ・ブログを書き始めるに当たっての私の社内許可の経緯が面白いだろう。

オルタナティブ・ブログを書かないか、と誘われたので、社内での了承を取り付けようと、上長、マーケティング部門長、法務の部門長に許可のメールを出した。どうなったと思いますか?誰からも返事がなかった。ダメ、ではないけど、他の会社(メディアだ!)でブログを書いていいかを、許可承認する権限なんて当然誰も持っていない。持っていないから返事は書けない。なので、まったくの個人の判断でオルタナティブ・ブログを書き始めた。

■■■
外資と言ったときに優越感を感じるとするなら、世界中のすごいやつらと仕事をしている、ってことだろうか、中にはとんでも無いやつもいるけど、私がいっしょに仕事をしている世界中の仲間は、話をするとわかるけど、みんな、知的なんだなあ。それは、IBMのときもサンでもいっしょ。

憂鬱なところは、太田さんのブログに岩永さんが書いていたけど、いつ、首になるかわからないところかなあ。でも外資系のよいところは、たとえば私があすからオラクルに移っても、なんの躊躇いもなく「オラクルの高橋徹です」と言い切れるところだろうな。その企業に対する忠誠心などという、わけのわからないものは、持ち合わせがない。むろん、サンはとてもよい会社で、ここで働いているのは幸せだけれど。

■■■

最後にひとつ、「出ない杭は、腐る」

Comment(6)