「道に迷っているばかり」 阿久悠って、すごかったんだなあ。
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「代替案のある生活」筆者の高橋 徹さんは、2009年8月16日 永眠されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
ITmedia オルタナティブ・ブログ運営事務局
【「あぁ~、しあわせっ」と、感じるとき。私の場合。】というブログを書きました。その中で、路に迷うことが好きだと書きました。路に迷うのは、目の回るような、不安がちょっとよぎるような、不思議な体験です。
路に迷う
と言う言葉から、ふっと、とても古〜い歌を思い出しました。森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌。なんと、1976年のヒット曲。時々、CMで使われたりしている。名曲だよなあ。
このビデオは音とVがずれてますけど。
この歌の歌詞は、こんな感じです。よく読むと、おとな、だよね。学生時代に同居(このころは同棲って呼んでいた)して、そして卒業が近づき、これから、どうするのか、「答えを出すよ」って彼女に言っているんですね。でも、どうしたらいいのか、答えは出しあぐねている。
たぶん、このままではいけない。それは別れることなのか。それは文字にしない。悩んでいるということを、言葉にせずに、胸に棘さす、という。
若い、にがい、青い年代の迷い、言葉にならない苦しみと不安。でも、時代は変わったし、若い人たちの中に「未成熟な自己愛」しかないのならば、もはやこの歌は人の心には響かないのかもしれない。
もし、この歌詞がいまだ心に響くものならば、こに歌詞は普遍性を持つのかもしれない。この作詞は、阿久悠。阿久悠って、すごいひとだったんだなあ、とあらためて思う。
このCD、買ってしまいました。今日はおやじのひとりごと、でした。
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