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躾の時期 - おじさんは躾を受けたのだろうか?

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今日、お昼を取りにお蕎麦屋さんに入った。ひとりだったので合い席。たぶん 60 歳前後のおじさんといっしょになった。ここの蕎麦屋さんでは、ランチメニューに麺類と丼ご飯のコンビが選べる「合わせ御前」というのがあり、けっこう好きなのだ。
 
目の前のおじさんは、たぬきそばと天丼、わたしは、かけそばとカツ丼だった。別に昼飯を食うのに品格など求められないけれど、でも喰い方がきたないと、嫌な気分になる。
 
蕎麦はずるずるすするもの、かもしれないけど、目の前のおじさん、すすりすぎじゃない。天丼もすすっている。箸の持ち方も気になってきた。なるべく見ないように、食べ物に集中しよう。
 
と。おじさん、箸を手に持ったまま、手に持ったままですよ!、立ち上がって向こうにある席に置いてあるスポーツ新聞を取りに行ってしまった。そして、おもむろに新聞を広げて、朝青龍のガッツポーズ問題のところをしげしげと読んでいる。
 
スーツにちゃんとネクタイを締めたおじさんなんです。
 
たぶん、この人の子供の頃って、戦後すぐで食べるものも少なく、躾をしてくれる大人が少なかったんだろうな、と思った。戦争のような、大きな文化的な亀裂というのは、こういった細部に表れてくるのだなあ。
 
私は、小学校に上がるまで、家ではご飯は正座をして食べさせられた。よそを向いたり、食べている途中で遊んだりすると怒られた。ぎっちょ(左利き)なので、左手で箸を持つと、手をつねられた。 
 
大体6歳ぐらいまでに、子供は外部との接点を勉強する。このとき、甘やかして、子供の好きなようにさせては、躾にならない。6歳ぐらいまでは、言葉を話す犬と同じなので、有無を言わせず、ダメなものはダメと躾けなければ、将来、社会の中で、最低限のしぐさ作法ができない。怒る、叩く、そういった直接的なストレスを与えなければ、子供は正しい作法、しぐさができないのだ。
 
犬と同じと書いたが、犬は大きくなっても自立しないが、子供は自立しなければならない。6歳までの躾は、たいへんだろうけれど、その子供にとって、とても重要なことだ。私の姪は、甘やかせすぎだなあ。

この目の前のおじさんを見ながら、ついつい、このおじさんの今までの人生で、躾が充分でないために、いろいろと損をしたんだろうな、と思った。朝青龍のガッツポーズより、おじさんの躾に残念な思いをした。
 
(朝青龍、がんばれ!)

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