「進化することは、幼稚化すること」なのかも知れない、について。
「日本人は150グラム大きい脳で考える」という本がある。西洋人に比べ、日本人の脳は約150グラム大きいらしい。それはしかし、日本人が西洋人より頭がいい、と直結しないらしい。(ダメですよぉ、すぐ、だから日本人はすごいんだって短絡的に思っちゃ!)
犬はオオカミから進化した動物だ。赤ん坊のオオカミと犬は似ているのだそうだ。しかし、オオカミが成獣になると、顔が細くなり、耳が尖ってくるのに、犬は、成犬になっても、オオカミの幼年期の特徴を残している。こういった進化を「ネオテニー(幼形成熟)」と呼び、コーカソイドからモンゴロイドへの進化はこの「ネオテニー」だという。たしかに、東洋人の体型は「幼形」と言える。
この本は、ジャーナリストの小松成美さんと脳神経外科医の阿部聡さんの対話形式の本で、日本人が150グラム脳が大きいことにより、阿吽の呼吸であるとか、相手を思いやる能力が発達し、逆に150グラム少ない西洋人は個人主義的なのだ、と言っている。そうかなあ。
日本人の曖昧さ、細やかさ(場合によっては細かすぎ)は大きな脳の特徴かもしれない。たとえば、「能」の単純な舞台と謡曲、舞、しぐさから、森羅万象を舞台側と見る側双方で創造していくような芸術。茶道でも、単純化すればするほど、奥行きが深くなっていく。
150グラム大きい能はそういった独特の細やかな、すばらしい文化を形成してきた。しかし、現在はどうだろう。昔から代々続けてきた躾や教えを、太平洋戦争後、捨ててしまった。150グラム大きい脳を教育するには、150グラム分余計に、それに見合った教育と厳しい躾が必要なのに、太平洋戦争後、それを止めているのが現状だ。だから、大学を出てもまったく幼稚なままでいる人が増えているのだろう。この本の筆者は、「未成熟な自己愛しか持っていない。」という。
また、150グラム多い為に、常に曖昧であったり、責任を取らなかったり、リーダーシップが発揮できない、といった弱点もある。会社組織や一業界など、日本の特定の狭い地域の中だけであれば、それも通用するが、この国際社会では交流していけない。幼稚化したまま、世界の波に翻弄されていくのだろうか。
思いっきり翻弄されるんだろうなあ、これから・・・
えぇ、筆者たちは、そんなネガティブなことは言ってません。150グラム多い脳をどう使うべきか、とか、男脳と女脳の違いなんかにも言及した、面白い本です。