※この文章をスティーブ・ジョブズ氏に捧げます。
「パソコンを使いこなしたい」
私が社会人になった頃の夢でした。
私がはじめて買ったパソコンは、当時日本で圧倒的なシェアを誇っていたNEC98シリーズ。
当時はまだウィンドウズは実用的でなく、定番だった「MS-DOS」というオペレーティングシステムで98を使ったのが、私の人生最初のパソコン体験でした。 今では少々パソコンに詳しいとか思われていますが、当時はOSの意味さえ知らないパソコン超初心者。
「漫画で分かるMS-DOS」という本を3回くらい読んで、最低限のコマンドを覚え、MS-DOSの黒い画面に「DIR」と打ったら、訳の変わらない文字列がズラズラ出てきてビビります。それでも、なんとなくパソコンを使えるようになった気がしました。
しかし実際にアプリケーションソフトを使い出すと、何をするにも苦労の連続。
当時パソコンソフトの3種の神器と言われたのがワープロ、表計算、データベースソフト。何でも形から入る私は、なけなしのお金を使って「一太郎」、「ロータス123」、「桐」という高価なソフトを購入。
しかし、ワープロ(一太郎)を使って文章を書いたのはいいが、うまく印刷できない。 いろいろ設定をいじってみるが、A4の紙にきちんと収まって印刷されない、そもそもまったくプリンターが反応しない。
「ロータス123」では四苦八苦して表は作れたものの、グラフ作成機能が上手く使えず。データベースソフトの「桐」にいたっては、最初から何がなんだかさっぱり分からない状態。
結局、大金を支払って購入したPC98とソフトは、知人に破格の安値で引きとってもらう羽目に。
パソコンなんて使えない。
もうパソコンなんか一生やらない。
そう思った頃、私は勤務先が営業支店から本社の企画部に異動。 最初の出社日に上司からこう言われます。
「ウチの部署はパソコン使えないと仕事にならないよ」
マジかよと部署内を見渡すと、見慣れないクリーム色のパソコンが数台。
まだ入社したばかりのような若い女子社員が画面に張り付いて作業をしている。
「彼女はパソコンで何を作っているんですか?」
「今度の展示会のポスターを作ってるんだよ」
えー、そんな高度な事してるんだ。 しかし絶対俺には無理。
そのポスター作りをしていた女子社員が私のパソコンのインストラクターとなり、私の特訓が始まった。 しかし、血反吐を吐く特訓を予想していたけれど、なんとその日のうちに私はそのパソコンを使って、簡単なチラシを作成し、しかも人生ではじめてA4の紙にまともに印刷できた。プリントされたチラシは、まるで印刷会社に発注したような美しい文字で印刷されていた。
「信じられん、これを俺が作ったのか?」
その日以来、私は会社に行くのが楽しみで仕方なくなり、出社すると真っ先に数少ないパソコンの席を陣取り、「ページメーカー」でチラシを作ったり、「エクセル」という死ぬほど使いやすい表計算ソフトを使ってグラフ入りの資料を作り、「ファイルメーカープロ」という猿でも使えそうなデータベースソフトで顧客リストを更新したり。
もう仕事が面白くて1日なんて一瞬にすぎ、家に帰るとそのパソコンを触れないのが苦痛でした。 そのパソコンの名前はもちろん「マッキントッシュ」。
絶対に個人でも買おう!
そう決めてMAC専門雑誌で値段を調べたら、なんと一番欲しい機種の定価が70万円。
中古車が買えるぞ。安い機種でも30万円とか40万円。
どうしても「Powerbook」という機種が欲しくて、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったのが、白黒液晶の「Powerbook180」。いまでいうMacbookProのような機種で、購入価格は60万円以上だったと思う。
しかし結果的に自分の人生の中でどれだけ役に立ったかで考えると、安い買い物だったと思います。少なくとも中古車を買って数年で乗りつぶすよりは。 「Powerbook」の購入によって、パソコン超初心者だった私は、パソコンの何たるかを人並みに知り、ITの世界に興味を持ち、パソコン以前に比べて、(自称)仕事は3倍は早くこなせるようになった。調子にのって会社の販促資料やカタログの制作もマックで行うように会社に提案し、DTPというものを会社に持ち込んだりもしました。
そして余人にもれず、アップルという企業の信奉者になり、東京で行われる「MACワールドエキスポ」というアップルのイベントにも毎回顔を出すようになります。その会場で「ナレッジナビゲータ」という未来のパソコン映像をみて深く感動しました(その映像で語られた未来(2011年9月18日)は、14日遅れの2011年10月4日に「iPhone4S」で実現した)
しかしやがてウィンドウズ95が発売され、マックの優位性は低くなり、アップルは会社の存続を心配されるほど業績が落ち込んでいきます。会社では一人一台にパソコンが支給されますが当然Windowsマシン。私のパソコンに対する興味や情熱は無くなり、パソコンは単なる仕事の道具。どれを買っても同じのつまらない製品になりました。
そんな頃、私の人生でマックの次に感動できる製品が世に現れます。
それは「PalmPilot(パームパイロット)」という、当時PDAと呼ばれていたガジェットです。このPalmで、私はマック以来、忘れていたコンピューティングへの感動を再び味わったのです。
「ちゃんと使えるPDA」
それまでもシャープの「ZAURUS(ザウルス)」など電子手帳というカテゴリーの製品には興味があり何台か持ちましたが、電子手帳として使い物になる初めての製品が「Palm」でした。また使いやすさだけでなく、その開発思想「ZEN OF PALM」にも深く共感しました。
パソコンの次のイノベーションはPDAが作る。
未来はモバイルコンピューティングにある。
2000年当時、私はそう信じてPalmの普及活動に積極的にコミットしました。
しかしやがてPalmは失速。ある一定の消費者層以上には普及しませんした。 Palmの失速によって「PDA」という製品カテゴリー全体が疑問視されるようになります。
「Palm」に未来のコンピューティングを信じた一人として、信じられない状況でした。
しかし奇跡は起こります。
「Palm」が失速しつつあった頃、アップルは「世の中を変える画期的な製品」と銘打って初代「iPod」を発売したのです。 もしかしたらアップル製の画期的なPDAか。 そんな期待をしたが、蓋を開けたら音楽プレイヤーだった。
なんだ「音楽プレイヤーかよ」
しかしご存知のように、この「音楽プレイヤー」はアップルが言ったとおりやがて「世の中を変える」ことになります。今、私たちは、その発展形であるスマートフォン、10年前にPalmユーザーが考えた夢のようなPDAを毎日使っています。
コンピューティングの未来を実現してくれたのは、またしてもアップルであり、その中心にいたのがジョブズでした。
感動を本当にありがとう。
あなたがいなければ、私の人生はかなり変わっていたと思います。