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ホーキング博士のいう「人類は進化の新段階に突入」ってどんな

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自分が思ったほどアクセス数が稼げないって事は良くあるのですが、こちらの記事もそんな代表格(苦笑)

そして、こちらのエントリでも、自動化・機械化が進んでそこから人間はどういう結果を手にするのか?という問いかけをさせていただいた昨日のエントリ

生身の人間が理屈や理論だけでコントロールできる訳ではないよという話をミツバチの例から紹介させてもらい、こちらはそこその閲覧をしていただけたようです(嬉

そんなこんなで、1年半ほどブログを書き続けるといろいろなエントリの点と点が予想外のつながりを生み出すことがあるのですが、今回もこれまた凄い超越というか人間が進化の次段階に突入しているという話をスティーブン・ホーキング博士が展開しているらしいという記事を見かけたところから、いろいろ曼荼羅アートのような展開に(笑

まずはスラッシュドット・ジャパンの記事

少し長いですが、そのまま引用させていただくと、

スティーブン・ホーキング博士によると、人類は進化の新しいフェーズに突入しているとのこと (THE DAILY GALAXY の記事、本家 /. 記事より) 。

35 億年続いた自然選択や突然変異などのダーウィン的フェーズから発生した人類は、情報交換や情報伝達を可能にする言語を生み出した。ホーキング博士によると人類がこの 1 万年、その中でも特にここ 300 年に渡って蓄積してきた知識は現在の人類と我々の祖先とを分かつという。博士曰く「我々は、我々の遺伝子のみからなるものではない」とのことで、進化を遺伝物質による内的伝達に限らず、外的に伝達される情報も進化として捉えるべきとのこと。人類が DNA で伝達している内的情報に著しい変化は起きていないが、人類が後世に引き継いでいる情報は驚異的に増え、この 1 万年間人類は外的伝達フェーズにあるという。

さらに、ホーキング氏によると人類は自身の DNA に手を加えることが可能になった「self designed evolution (自己設計された進化)」と呼ぶべき新たな段階に突入しているとのこと。現在は遺伝的欠陥の治療など比較的単純な遺伝子操作しか行われていないが、恐らく次の世紀には多くの遺伝子によって制御されている知能を向上させたり、攻撃性などの本能を修正したりできるようになるという。そして自滅のリスクを無くしたり減らしたりすることに成功すれば、恐らく人類は他の惑星への植民をはじめるだろうと予測する。しかしこれは巨大分子ではなく、機械や電子コンポーネントからなる知的マシン (intelligent machine) によって実現するだろうとのこと。このような知的マシンは過去に DNA がそれ以前の生命に取って代わったように、DNA ベースの生命を置換するものかもしれないそうだ。

ここ最近福岡伸一氏の著書を読んでいたので、これまた凄いところまで話が進むものだな~と正直驚いた訳です。

東京大学IRT研究機構で開発している事だけでなく、人間の社会生活が電脳社会に直結する例はだんだんと出てきており最近何かと話題のTwitterですとこんなのがあり

今回ホーキング博士の「この 1 万年間人類は外的伝達フェーズにあるという。」という主張はわたしのような一般人にもなんとなくイメージしやすい話です。

SFチックな側面もありますけど、人間がDNAを直接触って自身をコントロール、後世に引き継ぐべき情報を外的伝達し続ける知的マシンに進化するという事が何世紀か先に実現するのでしょうかね?

知的マシンとして電脳社会につながりながら思いつきをつぶやくような生活…その程度はいろいろありつつもその一端は実現している訳ですから、ほんと凄い世の中になっているもんだと思います。

昨日のエントリでも技術が進化した先の人間はどうあるべき?という話に触れさせてもらっていますが、スラッシュドット・ジャパンの記事へのコメントを参照していると、「技術的特異点」という用語が出てきて、Wikipediaを参照すると「特異点の妥当性と安全性」という項目で「ネオ・ラッダイト」に行き当たります。

現代文明においてAI(Artificial Intelligence)によって人間の雇用機会が奪われるのではないかという不安から、AIの、あるいはそれに繋がる技術の開発を阻止しようとする考え方がある。米クリントン政権の労働長官であったロバート・ライシュは『勝者の代償』のなかでニューエコノミーを批判し、ITを象徴とする技術革新中心のニューエコノミーは消費者として豊かになればなるほど、生産者・労働者としてより不安定になると指摘した。技術革新を中心とした経済運営は所得格差による勝者と敗者を生み出すが、オールドエコノミー型の経済とは異なりその勝利も一時的なものにすぎず、勝ち続けるために個人生活をさらに犠牲にして働き続けねばならず、家庭やコミュニティがさらに破壊されてゆく、これを『勝者の代償』と呼んだ。

その上で、こうしたニューエコノミーの矛盾に対して三つの選択肢を提示する。

  1. 社会的副作用を生み出している技術革新や市場経済化を止める(=ネオ・ラッダイト運動)
  2. 現在進行している変化を行くところまで行かせる
  3. 両者のバランスを取る。

ライシュは3.の方向を目指すべきとした。

この主張においての3の選択はとても理解しやすい話と思います。

今日話題にした、「人類は進化の新段階に突入」がより幅広く実現した時代においては、『勝者の代償』という考え方はどう変化するのかな~などとその関連性について得意の妄想しつつ、お気楽モードから一転、IT、インターネットのおかげで起業できた身としては、今を考えることも大事なんですが、これから50代、そして70代とか80代にはさすがに引退生活どうするの?って事も思案を巡らせるべきだろ~~とかなり真剣に考えるべき課題を突きつけられたと思っていて、とはいいつつも社会的に閉じているが、自分は開いているB型としてはお気楽にこんなエントリーを書いているのでした(苦笑)


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