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読めばベタに分かる、タイトルどおりのブログ

下のもんから言わせると、「見える化」っていうより「見せる化」なのかもしれないな、と思ったり。

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ここのところ、オルタナで「見える化」についてのエントリー、結構ありましたよね。

もう旬を過ぎてしまったかもしれませんが、改めてエントリーしてみる。

一応、社会人、と言われる生活を初めて約20年。あんなこと、こんなこと、ありましたよね、というのを振り返ってみると、所謂「見える化」というものに付き合わされた(苦笑)ことは多々多々あります。

・・・付き合わされた、て、あーた、と言われるかもしれません。

いや、でもね、働いている側からすれば、自分が受け持った担当内容を黙々と進めなくてはいけない中で、他の人に対して見える形に整える、という仕事は、やっぱり負荷は負荷なのですよ。・・・と、今は偉くなっている人達も過去にはそう思っていたはず(笑)

一方で、ちゃんと「見える化」できてないと、お前が考えていることなんか100わかろうたって無理じゃろうが、とか、組織として仕事をしている以上、誰かが本当に危なくなった時に一人でその責任をしょいこんで、個人の責任から会社の責任になるようなことは絶対やっちゃいけないので、状態がいつもわかるようにしておけ、という偉い人側からの立場も「そらそうだよなぁ」と納得もする。

ただね、よくよく考えてみると、「見える化」しなきゃいけない、というのは逆に言えば、見えるようになっていないからであって、もう一歩進めて言えば、じゃあ普段から「見せる化」できているのか?ってところに尽きるのかな?と。

自分なんか根性無しなもんで、「見える化」どころか「見せる化」して無いと、ギブアップも言いにくいんで(苦笑)、それは心掛けているかもしれません(爆)

本人として、「自分はこれだけ仕事してるよー」とか思っても、当たり前だけど他人である同僚や上司にはその実際の中身は伝わらない訳です。人によっては、「それをちゃんと汲み取れるのが上司の役目である」なんて考えている人も居るかもしれませんが、考えてもみましょう、所詮上司だって人間なのだし、じゃあ他にも部下である人間がたくさんいる中で聖徳太子のようにそれぞれの中身をさばけて・・・なんて上司は滅多に居ない、と考える方が妥当でしょう。・・・たまに居ますけどね、そんな人。

そんな中で自分が楽に仕事をするために、自分が本当にダメになった時にアラートを上げやすいようにするためには、「見える化」という見る側が主語になったことをするのではなく、「見せる化」しておかないと自分が苦しくなるだけなのです。

それは、通常求められる報告書のフォーマットにきちんと定期的に記述しておく、という段取りの話ではありません。姑息かもしれないけど、普段から、

「俺は担当している中でここを特にやってます」

とか、

「(本当は自分の腹ではこうだ、と決まっていても)これ、こう進めようと思うんですけど、どう思われます?」

とか、

「ここ、やっぱりちょっと自分ではしんどいんですよね・・・」

とコミュニケーションをしておくことに尽きるような気がします。経験上。

え?それだけ?と言われるかもしれません。

でも、そうしておくことにより、自分の内情、現状の関心事項、等は伝わるので、報告資料に書く内容がぐっと文字数が少なくなり、結果として”行間を読んで”もらえることになるのです。

また、もう一つの開き直り(?)として、上司が判断する前に、自分で結果が出てないことに関しては「ダメ。よって評価として×だ」ということを自分で認める勇気も必要でしょう。

よく、報告資料等で、「こうなってしまったのは自分の責任では無い、みんな他者が悪いんだ」的な資料を見ることがあるのですが、そういった時に限って(あくまで自分が体験した例に過ぎないけど)本当はもっと前にアラートを上げて、絡まった糸をほどくための対応を色んな観点(上司から、別の担当から、会社同士の対応として考え直す、とか)から行えば、もうちょっと局面は変わったのではないか?と思わせることが多々あります。

そういった報告をされてしまうと、「見える化」しました、と言われても、きっとその人の「見える化」=信用に足るものか?という疑念を抱かせてしまう、と思うのです。

自分がバカなだけなのかもしれませんが、自分の否を認められるかられないか?、それが損と感じる人も多いかもしれませんが、仕事も所詮、”人”がやることなので、超ネガティブになっている状態で、さらにこねくりまわすよりも、人をあっさり変える、という方がうまく行くことだってあるのでは?と思います。自分の評価がそこで下がろうと、会社としてネガティブにならなくて済むのですから。下がった評価は自分自身、どこかで取り返せば良いのです、自分が確実に自信を持てる何かで。それがあることが前提ですが。

ただし、今までつらつらと書いてきたようなことで「見える化」=「見せる化」で済ませるためには一つの重要なファクターがあります。

・ちゃんと、「こいつはこれならやり切れる」、と皆が認めてもらえる実績を作ること

・自分が「これならやり切れる」と思えることは、何があってもやりきること

・これはこうだからうまく行ってないんです、これはこうだからやれると思います、という理由に信憑性が確保できること

「見える化」しろってことは、企業運営が円滑に進んでるかどうか上の人が確認したい訳ですから、そもそも嘘をついちゃいけない訳です。だからといって、白・・・OKです、黒・・・NGです、とはっきり言い切れる程の状態になっていないことも多々ある訳であって、そこは自分の「俺なら、何があってもやりきれます」、というプライドを別にすればどっちに転ぶかはその「見える化」しようとしている本人の”資質”によるところも多い訳です。

でも、本人の”資質”って何で測りますかね?と。プライドだけで仕事はできません。あくまで仕事は”事実”だけです。そのためには、その「見える化」させる内容についての信憑性を確保するための個人の”実績”の積み上げ、それは成績だけではなく普段の言動や論理性に掛かっている、と思うのです。

みなさんの周りにもいらっしゃいませんか?今、今時点では実績が上がってなくてもその現状報告が何となくもっともらしくて、周囲からすれば「それを鵜呑みにしてええんかい!」と上司が思いつつも、期日が来るとちゃんとそのとおりになっている人。それが真理、だとは言えませんが、少なく共、「やれる要素を見せておく」→「そこに信憑性を確保するために実績を作っておく」→「普段からコミュニケーションして、自分の状態を示しておく」という3点セットが「見える化」、というよりしつこいようですが、「見える化」するための立場としての下のもんからすれば「見せる化」の必須条件だと思うのです。

・・・事実、その方が楽に仕事進められますよ、きっと。

※このテーマはオルタナで盛り上がってた時から書きたい、と思っていたのですが、諸般の事情により今日まで掛かってしまいました。で、また別の諸般の事情によりインプロビゼーションみたいなエントリーになってしまったことを事前にお詫びしておきます。支離滅裂だったらごめんなさい。

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