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自動車が売れない理由に関する私的考察2~自動車メーカー自ら”単なる移動手段”として商品づくりをしてきたから

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先日、各自動車メーカーが発表した中間決算および通期決算予想のの数字は昨今のサブプライムローン問題に端を発した金融危機の影響もあり、相当寒いものでした。

トヨタは2009年3月期の連結営業利益予想を、前年比73.6%減の6000億円だと言っています。

・・・それでも6000億円営業利益がある、というのもこのご時世においてはスゴイことなんじゃ無いか、という見方もできます。しかし、あの企業グループの大きさからすれば、当然この予想が与える影響範囲の広さ、影響そのものは計り知れないものがあります。

うちの会社も他人事では無い状況です。

自動車業界としては全社を挙げて、自動車に乗ってもらう取り組みをしています。一昨日・昨日は「TOKYO MOTOR WEEK」なるイベントを東京ミッドタウンにて開催させていただき、一般消費者の方にあらためて自動車とふれ合う機会を作らせていただいたりしました。

さて、昨年のこの11月の第二週の月曜日に、自分はこのブログに「自動車が売れない理由に関する私的考察~それは「デザイン」と「塗料」」というエントリーを書かせていただきました。一介のサラリーマンのブログにしては皆様に相当数お読みいただき、また、様々なところで取り上げていただきました。その節は誠にありがとうございました。

2ちゃんねるにもスレッドが立ってました。全部読ませていただきました。内容に対する反論、そもそものブログの記述仕方も含めてのご指摘もあれば、「そういう見方もできるな」、と感じていただいた方も多かったようです。多くの反論の中に、「そもそもこの不景気でお金持ってないから買えないだけなんだよ」という主旨のコメントもあったように思います。確かにそのとおりかもしれません。ただ、一般的に多くの人がこの不景気を感じている中、不景気のせいにだけしていていいんですかね?、自動車メーカー側自身が自分達のやってきたことを振り返った時、全部他責にしていていいんですかね?、という気持ちが自分の中にありました。そういったことから、何か自分達に起因する理由を考え提起したいと考え昨年のエントリーになったのが正直なところです。また、「自動車製造を正社員では無い労働者を多く利用して行っている→自分達自ら賃金の出し渋りをしている→不景気の要因を作っている」というのもありました。昨今でも話題になっています。先日のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」でも現状の販売現状から、期間工の契約延長をしないために街から人が減っていっているといった放送をしていました。ここに関しては、自分は経営の中枢に関わることも無ければ、人事、また製造工程構築に携わったことも無いため、その話に対する正確な情報を持ち得ず、また確固たる自信をもった考えも無いため、否定も肯定もできる立場にありません。事実として、減産をせざるを得ない企業環境があり、その際に正社員で無い方が影響を受けている、というのは認めざるを得ません。一方で、いわゆる新卒で相当数ご入社いただいた方が、製造現場に着任後、1年も経たずしてこれまた相当数ご退社される、という話を聞いたこともあります。その数は約8割だったとか。ただし、これは最新の情報ではありません。数年前に他社の事例で聞いた話です。現在は異なるのかもしれません。そういった意味で自動車製造は、実は正社員だけではなかなか成り立たない、さらに言えば、その結果、技術の伝承がしづらいことから、むしろ正社員をもっと増やすべきという動きもあり、数的には多数では無いと思いますが、期間工から正社員として中途採用されるケースもある、と聞きます。こういったことから、自動車メーカーが正社員で無い方を多用することにより景気悪化を招いていることが自動車が売れない理由である、とする説に対しては、自分自身今後も取り上げることはありません。

今回、改めて「自動車が売れない理由に関する私的考察」という昨年のエントリーと同じタイトルを付けたことについて、去年は”「デザイン」と「塗料」”と言ってみたけど、1年経ったら考えが変わった、という訳ではありません。また、この時期にエントリーしようとしたことについても、各自動車メーカーの中間決算発表があったことを見越して、という訳でもありません。前述のように、あくまで自動車メーカー自らに起因する売れない理由を探していたい・・・というのは昨年までと変わらない気持ち。仮に今がもの凄く車が売れている環境になっていたとしたら、タイトルこそ「売れない理由」とは付けなかったであろうけど、「このままでいいのか?自動車メーカー」ぐらいの感じで書いていた、と思います。ただし、前回の理由も、先に言ってしまえば今回理由として取り上げる事項も、現在の売れない理由の解消にはつながらないし、何を今さら、もう取り返せない時間についてのものです。そういった意味で、あくまで自分が個人的に考えた私的理由であり、もしこの問題に着目されておられる方が居られれば、それぞれの観点でお考えいただき、このエントリーも一つの考え方、ということでさらっと読んでいただけましたら幸いです。

非常に前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。

自動車そのものの良い部分って何があるのでしょうね。

一般的には、きちんと走れる道がある限り、自分の思いのままの目的地にたどり着くことができることだと思います。

また、身体的な都合上、なかなか長距離の移動が困難な方に対して、移動することを支援できることかと思います。

さらには、そういった移動に際して、その自動車の許容量の限り、荷物等を併せて運ぶことができることかと思います。

では、自分自身が自動車を所有すること(これは実質的所有を言っています、リース等による借り上げを含みます)の良い部分って何があるのでしょうね。

一般的には、前述の自動車そのものの良い部分を、自らの思いのままのタイミングで、また(例外的な所有方法をされる方を除いて)ドアtoドアで行えることだと思います。

また、その自動車そのものが所有者にとってデザインや色的に好きなものであった場合は所有欲を満たせる、というのもあると思います。

さらには、やや例外的ではありますが、その自動車の価値が比較的高いことを一般的に知られている場合、所有していることにおいて他人から羨望のまなざしで見られることができる(かもしれない)、もしくはそれを目的で所有し自己顕示欲を満たせる、というのもあると思います。

では自動車そのものの悪い部分って何があるのでしょうね。

遵法を前提にすれば、運転免許を取らなくては乗れません。また、運転免許資格維持のために、一定の要件を将来において満たし続ける必要があります。

自動車は自分達を持ち運んでくれますが、自動車自身を人間が持ち運ぶことは一般的には困難です。したがって、目的地にたどり着いた時、その自動車が他の方にとって邪魔な存在にならないような置く場所の確保、もしくは置く場所が確保されていることを前提に利用しなくてはいけません。

当たり前ですが、酒を飲んで運転することはできません。これは法律に定められているから、罰則規定が重いからだけではなく、自動車を他人の人生を奪ってしまう危険な殺人道具に自ら変えてしまう危険性を高くはらんでいるからです。お酒を飲んで、というだけではなく、スピードに対する規制、信号や標識を守ること、それらはお互いがある一定のルールを守ることを前提にして自動車を利用することにより、お互いの生活を脅かさないようにしているからです。

そういった意味では、自動車というのは”大変便利な”一方で”非常に面倒な”移動手段でもあります。

さらに、自分自身が自動車を所有することの悪い部分って何があるのでしょうか。

余程の例外を除き、それ相応の税金を納める必要があります。一度納めれば済む訳ではなく、その所有期間に応じて、必要である税金もあります。

自動車を動かすには燃料が必要です。燃料は無料ではありません。無料に近い存在でもありません。利用すれば利用する程、それに応じた費用がかかります。

自動車は機械です。消耗品もあります。消耗を前提としていませんが、摩耗するものもあります。壊れる部位もあります。いつでも動作できることを前提にすれば、それらを常に整備しておくための維持運用費を考慮する必要があります。

そういった意味では、自動車を所有するというのは”大変便利な”かつ”ちょっとした嬉しさがある”一方で”非常にお金がかかる”存在でもあります。

以前テクネコ加藤さんが、「自家用車をやめてみました」および「続:自家用車をやめてみました」にて「この3月に次の車検を迎えるに当たり、年間の駐車場・税金・任意保険・消耗品、2年ごとの車検の費用を考えてみました。そして、レンタカーとタクシーをフルに使っても、維持費相当のお金で夫婦で温泉に何度も行ける、という結論になりました。」「私が自家用車をやめたのは、車を持つことのメリット(利便性、生活必要性、趣味性)とデメリット(経費、手間)と比較し、他の手段(自動二輪、レンタカー、タクシー、電車・バス)で代替できるという結論になったからです。」と書かれていたように、また、自分がそのエントリーへのアンサーの一つとして「自家用車を持たなくて済む地域と済まない地域。」とエントリーした中身にて「今の時代、頻繁な利用と家族の事情と「これを持っておきたい」という所有欲さえ無ければ、自家用車を持たなくても良い場所ができてきたように思います。東京近郊ではまず間違いなくそうではないでしょうか。」と書かせていただいたように、単なる利便性のみ、移動手段として自動車を捉えると、その所有の必要性に対して疑問を抱く方が増えても仕方が無い面があります。

自家用車を持たなくて済まない地域においては、自動車は重要な移動手段であることも事実です。ただし、公共事業の考え方如何によっては、そういった地域でも自家用車を持たなくて済む地域になる可能性も秘めています。ここ数年の情勢から言えば限りなく可能性は低いのかもしれませんが。何より自動車そのものは、(各自動車メーカーの考え方にも依存しますが)あっても「寒い所用」「雪が積もる所用」「火山灰が降る所用」「潮の影響を受けそうな所用」ぐらいの非常に大括りの地域対応しかしていません。細かい意味での使われ方、使う場所対応までできていない訳です。ということは、自動車業界として、「自家用車を持たなくて済まない地域が存在する」ことに甘えていてはいけないはずなのです。”移動手段”というカテゴリーにおいて、”絶対的優位”に立てる存在とは言い切れない、と思うのです。

ところが、ここ十数年の間、いや、正確には自分が免許を取得した1989年頃から今日までの間、自動車は”移動手段”としての”快適性能”を求める以外に、何か抜本的に進化してきたことがあったか?と言うと、それ程特筆すべきことは無いように個人的には思えたりするのです。ステレオが標準で付くようになった、カセットからCD対応、MD、今はiPod対応っていうのは自動車側が仕掛けたことではなく、電気メーカーの進化をそのまま受け継いだだけ、カーナビは、迷わず行ける=道に迷わない、少しでも渋滞にはまらないようにできる=”移動手段”としての時間短縮、利便性向上以外の何者でもありません。

燃費性能や排出ガスの少量化はもちろん大幅に進みましたが、これは自動車そのものの基本性能の話。自動車それ自身の存在価値を高められるようなものとは言い難いような気がしています。

つまり、他に選択肢が無いので”仕方なく”自動車に乗る、自動車を保有する、以外の”わざわざ”自動車に乗る、自動車を保有する、というきっかけづくりにあまり努力をせず、むしろ、仕方が無いかもしれないけど自動車に乗った以上は快適に過ごしていただけるように・・・という領域にばかり力を入れてきたのでは無いか、ということです。

自分が小学生ぐらいの頃、両親がたまに車で日帰り旅行に連れて行ってくれたことがありました。車にはカセットレシーバーが付いていましたが、うちにはカセットテープそのものがあまり無かったので、出掛ける最中に車内に流れているのはラジオか自分達の声しかありません。渋滞にはまれば子供なのでぶーぶー文句を言っていた記憶があります。でもその気を紛らわせるために色々家族で話したり、運転中の父親も会話で参加できるようなゲームをしたり、外の景色を眺めたりして、行く道中そのものを楽しんでいました。逆に言えばそうするしか無かったところもあるのですが、ある意味、一台の車内の中に家族だけが存在していたから、他の人に迷惑を掛けることなく色々楽しむことができた訳です。また、道中に偶然見つけたものに興味を示して立ち寄ったり、もしくは通り過ぎてから気になって引き返してみたりして。これは公共交通機関ではまず行えないことです。”移動手段”であることには変わりありませんが、”自動車”という存在だからこそできたことです。現在はどうでしょう。極端な例かもしれませんが、帰省ラッシュの渋滞中、偶然隣になった車などには、車内の全ての座席の目の前にモニターを付けていて、子供が黙って何かのアニメを見ている、お父さんは単なる運転手、という光景が少なからず伺えます。カップルの片方が助手席で黙々とケータイやDS等をやっています。うちの社内の若い人と話していても、「ドライブって何ですか?」(どこかに行く、という目的意識だけがあるんじゃなくて、その道中そのものを楽しむことかなぁ、とか言うと)「そんな感覚ありません」「訳わかんないです」とか言われることがあります。その本人達が満足しているなら、成立しているならいいじゃない、という考え方はもちろんあるでしょうし、自分がそれを気に病むことは余計なお世話だと言われることは承知の上で、自動車は本来それが担えるべき存在価値を伸ばそうとせず、代替もしくは他に取って代わられる存在に向かって進んできたような気がしていて、それが年を追って販売台数が少なくなってきたこと、保有台数が減少に転じ始めた要因のように感じています。

トヨタのプリウスは抜本的な進化なのでは無いか?という人も居るかもしれません。プリウスに関してはまた別途論じたい、と思っていますが、今回取り上げた側面で言えば、「電気くん、ガソリンくん」の画面インターフェースはもの凄く良かったとは思っています。慣れると飽きるのかもしれませんが、自分は、あれ程先進技術の固まりを分かり易くイメージさせ、自分で走らせることが他の車を走らせるのとはどう違うのか訴求できる、またそういう所にきちんと目を向けた、という意味でトヨタは偉かった、とは思います。でも、”わざわざ”に対するものではありません。

評論めいたことを長々と書いてきて、じゃあどうすれば良いのか、を体系的にご説明できる考えもまだ持ち合わせていません。でも、先般個人的にはちょっと嬉しい方向性がありました。

メディアやネットであまり大きくは取り上げられているようには思えませんでしたが、ホンダがその純正のカーナビである「インターナビ」の新バージョンにおいて、目的地に達するためのいくつかのルート選択方法の中に「シーニックルート」として、景色のいい道路やおすすめのスポットを巡る観光ルートを提供することができるようにした、とのこと。しかも、天気・曜日・時間帯・季節などのおすすめ条件に合わせてルートを配信するサービスとして世界初なんだそうです。自分の捉えていた今までのカーナビの方向性がとにかく目的地到達までの効率性を求めるか、その大画面モニターを活かして車内に居るということについての気の紛らわせに対して向いているように思えたものからすれば、やっと自動車を”わざわざ”乗ることによって楽しめることを訴求できるようになった、もしくはやはりそういう方向に向かうべきだよね、と考え始めたような気がしています。ひょんなきっかけから、このホンダのインターナビ関連の方とは知り合いになれたのですが、その方に、「自分はこの”シーニックルート”を搭載しよう、と考えた発想がとても嬉しいです」(偉く生意気な発言ですが)とお話すると、「自分達もそう思っていた」「あまり強いメッセージの発信仕方はできていなかったけど、そこに気づいてくれたのは自分も嬉しい」と言ってくれました。

ただ、この着眼点は、まだまだホンダ全体ではなく、インターナビに関わる人達の着眼点でしょう。これがホンダ全体になるか否か。また、他の自動車メーカーもそれぞれこういった”わざわざ”乗って「FUN」を実現していく領域をどう考えるか。それこそ全ての自動車メーカーがきちんとそれぞれが単なる”移動手段”だけでは無い発想ができた時、自動車の存在そのものの意義が見直されるような気がしています。

思いのまま連ねてしまいました。理論が破綻しているかもしれません。多分に思い込みの強い部分もあるかもしれません。でも、何故か、今書かざるを得ない気持ちは止められなかったのです。乱筆乱文失礼しました。

【参考】

■Honda プレスリリース『ニーズに合わせたルート配信サービス「インターナビ・ルート」を発表』

http://www.honda.co.jp/news/2008/4080828a.html

※このプレス発表も副題が「~自動車メーカーとして世界初の省燃費ルートやETC割引ルートを設定~ 」と効率指向に向いていて、今回取り上げた「シーニックルート」がさらっとしか書かれていない所が個人的にはおもしろく無いのですが。

■Honda インターナビプレミアムクラブホームページ内『internavi Premium Club インターナビドライブ情報―シーニックルート』

http://www.premium-club.jp/technology/tech9.html

※さすがにこちらはきちんと書いてあります。

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