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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

facebookでできる簡単な嫌がらせ

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今回はfacebookでできる簡単な嫌がらせを紹介しよう。

さらに、日本(だけかどうかは分からないが)におけるfacebookの持つ負の面についても考察したい。

 

ずは、嫌がらせのやり方だが、それには二つの前提条件がある。この二つの条件が満たされれば、嫌がらせは簡単にできる。

一つは、名刺交換をしたとか、友達ではないが同級生だったとか、一度会っただけだとか、そんな理由で友達申請をして、それを受けてくれる脇の甘い相手がいることだ。ちなみに、僕は会ったかどうかも覚えていない人からの申請も平気で受けるのでかなり脇が甘い(注)。

もう一つは、facebookにプロフィール画像を自分の顔にすること。それも、かっこいい(と自分で思う)顔とか素敵な笑顔ではなく、相手が不愉快になるだろうなあと思う顔を載せることだ。

以上、二つさえできれば、嫌がらせは簡単。

嫌がらせをしたい相手の全ての投稿に対して、のべつまくなく「いいね!」をつけてください。面倒なら、そんなことをしてくれるアプリもあるようだから活用しよう。

相手は「お知らせ」を見るたびに、あなたの不愉快な顔を見てゲンナリするはずだ。

やめてほしいというメッセージが送られてきたところでこう答えればいい。「本当にいいと思うから、いいね!をつけているんです。いい投稿ばかりで心から尊敬しています。ただ、不快に思われたなら今後はやめておきます」

こういうメッセージが送られてくるのはよっぽどのことだから、しばらくは嫌がらせを楽しめると思う。言われたら別の人にやるだけだ。

一方的に友達から解除されても同じことだ。なあに。申請すれば受けてくれる脇の甘いやつはいくらでもいる。

(注)これは、あるコミュニティをfacebookの秘密グループにて主宰しているため。メルマガ読者も受け入れているので、会ったこともない人でも友達申請を受けざるを得ない。この点に関して、facebookの秘密グループをコミュニティのコミュニケーションの場にしたのは失敗だったと思っている。

 

ちろん僕がこんなことをしているわけではない。何故こんなことを思いついたかと言うと、相手は嫌がらせなのか本気なのかは分からないが、僕がこんなことをされているからだ。

で、これは嫌がらせとしても使えるなと思っただけのこと。正直、僕はゲンナリしていたのだが、ネタになると思った瞬間ワクワクしてしまった。ライターの性(さが)である。

同じソーシャルメディアでも、facebookだからこそ成り立つ嫌がらせだと言える。たとえばTwitterでも似たようなことはできなくはないが、facebookほどのインパクトはない。

それは、名前の通り、faceが見せられるからだろう。人は人の顔に反応するのだ。facebookのすごさは顔が見えるということなのだ。見えるということは、見せることもできるということに他ならない。

「いいね!」にくっつくゲンナリする顔。facebookは最高の嫌がらせツールだ(と被害者として言う)。

 

ころで、(僕も含めて)「脇の甘い人間」がたくさんいるのはどうしてだろうか?

「女は関係を求めるが、男は所有を求める」という名言を吐いたフェミニストがいた。この言葉の是非は措くとして、僕の言葉で言い換えると「職人は関係を求めるが、成功屋は所有を求める」ということになる。

「職人」と「成功屋」って何、と思う人も多いだろう。

職人については、こちらを読んでほしい(ほしいだけで、読まなくても後の話は分かる)。

▼女性の時代とは職人の時代だということ
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/4420.html

成功屋については以前にも定義したが、「成功法則を商品にして、誰もが成功できるという嘘っぱちで集客する人たち」のこと。

職人と成功屋では、「人脈」に関する考え方は大きく違う。

職人は、人間関係を求める。

人間多くの人とは関係できない。関係には覚悟がいるからだ。しかし、一度覚悟を決めた関係は一生続くことが多い。これこそまさに絆だ。

成功屋は、所有を求める。

彼に必要なのは、関係ではない。メンターという名の引き上げてくれる人の所有。パートナーという名の利害関係が一致した者の所有。そしてDMやメルマガを送りつける名簿としての名刺の所有。

そこには深い関係性よりも、数が重要である。特に名簿は数が大事だ。パートナーも数多く持っていれば間違いない。メンターに関して言えば、どれだけ自分のためになってくれるかであり、ここでも深さではなく量だ。

僕は絆とか縁とかいう言葉をすぐに使う人間に不信感を持っている(何度も書いてきた)。その理由がお分かりになったと思う。

絆は覚悟がなければ使えない言葉なのに、会ったばかりで(最近は会ったことのない人にも絆を感じる人が多いらしい)使われても困る。

縁に関しては、これを言い出すのは、とにかく名刺を集めて、DMかメルマガを送りつけたい人間だと、ここ数年で気づいたからだ。

 

ょっと間があいてしまった。どうして「脇の甘い人間が多い」かということだった。

しかし、もうお分かりだろう。

それは、成功屋や(それに教わった)プチ成功屋がここ数年で爆発的に増えたからだ。彼らは、申請すればほぼ必ず応えてくれる。質ではなく、数が重要だからだ。

日本におけるfacebookは彼らが跳梁跋扈するフィールドと化してしまった。

なぜそうなってしまったかというと、facebookと彼らとの相性が抜群だからだ。

facebookほど、数の論理を明確に肯定しているソーシャルメディアはない。

確かにTwitterにおいてもフォロワーが多いというのは一つの指標になるが、最近は情報収集ツールとして活用している人のほうが多いので、フォロワー数が少なくても問題はない。

facebookにおいては、友達の数、「いいね!」の数、コメントの(内容より)数。とにかく数が多いことが価値であり、島田徹さんが指摘しているように「深い内容の話ができない」(正確に言えば誰もしない)。

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1203/30/news095_2.html

同じ記事で、島田さんはこうも語っている。

 もちろん中には「和をもって尊しとなす」の精神を持たず(あるいは空気を読まず)、思い切り重~いネタを書き込む人もいます。しかしこういう書き込みは、明らかに「いいね!」もコメントも付く様子がなく、寒~い状態で放置されます。これは、「無粋なことを発言した罪」ということで、数日間のさらし首です。

数の論理の中で、内容を求めるとこんな憂き目に会う。

質が問われる「関係」よりも、量が問われる「所有」が大事という成功屋たちにとって、facebookというのは最高のツールなのだ。

 

はいえ、このようなことを理解しつつ、facebookと戯れるのも楽しいものだ。

職人と成功屋を見分ける目も養えるし、見方次第ではネタの宝庫でもある。

 

※やっぱり書いといたほうがいいのかなあ・・・。よい子は真似しないでね、と(笑)。 

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