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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

成功者が論理破綻しない理由と、残念な人でいきたい宣言

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Zさんという人がいる。このZは単なる記号で、イニシャルではない。Zさんだからといってゾメキさんという人のことではない。

Zさんは、僕の分類でいえば成功者の入り口にいる人だ。半分人をだましているようなところもあるが、半分は間違いなく本気だ。本気の部分は本当に美しい。僕はZさんに好感を持っている。だから、Zさんが自分のことだと気づいて傷つかないことを祈りながら書く。まあ、Zさんは悪口には慣れているようだが。

別に悪口を書くつもりではないのだけど、そのように受け取る人は必ずいる。僕の文章にはそういうトゲがあるのは自覚している(下の絵はとげとげしいが、これは単に絵が下手なだけだ)。

一時期トゲのない内容・文章を心がけていたら、誰も相手にしてくれなくなった。トゲがないと人の心にはひっかからないようだ。

絶賛に近いレベルで共感してくれる人もいれば、嫌悪に近いレベルで批判する人もいないとダメだと思い知らされた。誰だって批判は苦(にが)いものだけど、そうでないと真ん中の人たちもきてくれない。批判を恐れず、自分らしくやるしかないのだ。

 

2012032301.jpg川さんの文章は、論理が破綻することが多い、とZさんは教えてくれた。うまくいっていないときに(しょっちゅうある)相談の電話をしたときのことだった。

成功者は論理学も経済学も分かっていないなどという生意気な指摘をしている僕にとってはゆゆしき問題である。

「僕の文章は論理が破綻していないのがすばらしいとよくほめられるんです」とZさんは言った。ぼくはZさんのゆるぎない自信に憧れの気持ちさえ持った。

どういう文章が論理破綻のない文章かをZさんは教えてくれた。「断定しないことです。自信がなかったり、裏が取れていなかったりすることは、××かもしれないと書く。断定してしまうと突っ込まれる。論理が破綻していると言われる。だから、僕は事実以外は断定をしません。意見に関しては、『かもしれない』とか『思います』をつけるようにしています」

なるほど、成功者の論理とはそういうものかと、僕はすっかり感心してしまった。僕はZさんにお礼を言って、電話を切った。

それ以来、(今はやめたが)できるだけ断定をさけようと心がけてきた。断定すると人の心にひっかかる。好意的な人はいいが、そうでない人は論理が破綻していると言ってくるらしい。

 

の記事を多くの方が読んでくださっているようだ。ありがとうございます。

▼女性の時代とは職人の時代だということ
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/4420.html

誠の吉岡編集長がほめてくれて、誠Biz.IDの鷹木編集長がタグをつけてくださったおかげだ。アイティメディアの記者の方々の影響力にあらためて驚いた次第だ。嫌われないように気をつけないと。

この記事に以下の通りのコメントがついた。

>男性で職人になる自信がなければ、せめてオネエになろう(それだけで職人気質の7分の5は得られるから)。

冗談だとしても、こういうことは軽々しく言うべきでは無いと思います。
それまでの内容が良かっただけに、非常に残念な気分になりました。。。

コメントを書いてくれた人が気を悪くしなければいいなあと思いながら続きを書く。敵意がないのだけは信じてほしい。たとえ先方に敵意があったとしても。僕は争いごとが嫌いなのだ。

 

読した瞬間の正直な感想は、心がざらついた、である。「冗談だとしても」と「言うべきではない」の部分にザワザワときた。

返答のコメントに書いたとおり、「冗談」で書いたわけではない。かなり本気だ。「軽々しく」書いたつもりもない。誠ブログに軽々しく書けるほど、僕は偉くはない。

また、「言うべきでは無い」というのはかなりひっかかった。これはアドバイスと受け取られてもしかたのない表現だ、しかも匿名の人からの。

アドバイスは、相手が自分のことをメンターだと認めている相手(メンティ)にしかしてはいけないものだと聞いている。この人が男性でないことを祈る(注)。

「非常に残念な気分になりました」に関しては、心がざらつかなかった。個人の感想についてとやかくいうつもりはない。僕の文章を読んでどう感じようが、それはその人の自由だ。

それに、僕は元々「残念な人」であることを自覚している。『残念な人の思考法』も読んだけど、出張帰りの新幹線でビールを飲むのが残念な人であるならば、むしろ残念な人のほうがいいと思っている。

嗚呼。コメントをくれた人を傷つけてしまっただろうか? 僕のトゲだらけの文章は(推敲してだいぶトゲを抜いたのだけど)。でも「コメントを書いてくれた人が気を悪くしなければいいなあ」という気持ちは本当なんです。

(注)男性が女性にアドバイスをすると多くの場合嫌われるから。そして、たいていの男性はこの愚を犯す。女性から見てメンターだと思える男性は実に少ない。夫や彼氏がそうであることはきわめて稀。上司に至っては聞いたことがない。

 

いうことで、読んだ瞬間は心がざらついたのだが、このようなときはよくよく考えないといけない。

受け流せないのは、自分の無意識に原因があることがほとんどだからだ。何かトラウマのようなものにひっかかっているに違いない。

この人は少なくとも真剣にコメントしてくれている。

そう思った理由は書かないが、誠ブログの記事の質を向上させたいと願っているようだ。編集者魂のようなものを持っている人に違いない。

否定的なコメントを書く人には二通りいて、心底性格の悪い人か、すごくまじめで許せないことが多い人だ。この人は後者であり、こういう人は、そのまじめさがゆえに勇気をふりしぼってコメントしてくれているに違いない(と思う)。

それに僕のような人間でも残念なままでいてほしくないという気持ちも感じられる。それを僕がどう受け取ろうが、汲むべきものであろう。大人であろうと思うのなら、むしろ感謝すべき人なのだ。

ここまで"理解"(僕がそう理解しただけで、本人の気持ちなどは分からない)すれば受け入れられるはずのことだ。でも、素直に受け入れられない。

 

えに考えて、ようやくたどりついたのが、Zさんの言葉だった。

たぶん断定がいけなかったのだろう。

>男性で職人になる自信がなければ、せめてオネエになろう

この表現は確かにいけないかもしれない。

せめて、こう書けばよかったのかもしれない。

男性で職人力に不安のある人は、オネエになるのも一つの手かもしれない。

2012032302.jpg「かもしれない」が続いたが、これが成功する人の文章というものだ。

で、僕はこんな文章を書くのが嫌になって、今のスタイルになった。それなのに、それなのに......。

何に心がざらついたかが分かったので、もう大丈夫。

コメントをくださった方に、このようなことを考える機会をいただいたことを改めて感謝します。

そして、僕は残念な人のままいこうと改めて決意したので、アドバイスを無駄にすることについて謝罪したいと思います。

皮肉にとられたら申し訳ない。天地神明に誓って、素直な気持ちだ。

なお、たぶんコメントをくださった方の真意は別のところにあるのだろうと予想はしているので、メンティでもない相手に再度アドバイスするというような愚を犯していただきたくないと切に願うばかりだ。 

このブログは、仕事それ自体を楽しむ人を増やすことを目的に書いています。

なお、僕はこういうことを見聞きして、こういうことを感じたということを書いているだけなので、牽強付会なところもあるでしょうが、大人の心で見逃してやってください。

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