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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

成功哲学が非論理的なのは資本主義の成立と関係があった?

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先日、成功哲学はあまり論理的でないということを書いた

▼成功するためには論理的でないほうがいい?
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/4357.html

この記事は、「あきらめなければ成功する」という言葉の非論理性を指摘したものだが、この論理って何かに似ているなあと引っかかっていた。

それを思い出したので書く。

なんと、この非論理性は、資本主義の成立の秘密(?)と関わっていたのだった。

 

プロ倫をご存知か?

 

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。社会学の研究者や学生は「プロ倫」と略すらしい。

マックス・ヴェーバーという大学者の本だ。社会学のネ申の一人だ。

ヴェーバー先生、あるとき考えた。どうして、オランダやイギリス、アメリカのようなカルヴァン系プロテスタント国では資本主義が勃興したのに、イタリアやスペインのようなカトリック国ではそうではなかったのか。

研究の結果、これはカルヴァンの予定説と関係があるのではないかと思いついた。

カルヴァンの予定説、高校の倫社の時間に習いましたよね。神によって救済される人は、あらかじめ決まっていて、人間の意志や努力、善行の有無などで変更することはできない、というやつです。

これがどうして資本主義に結びつくのか?

続きがあって、禁欲的労働に励むことによって社会に貢献することが、この世に神の栄光をあらわすことになる。そうすると、自分が救われているという確信を持つことができるようになる、と言うのである。

すでになんだか変だよね?

いくら善行を積んでも、神に救済されるかどうかわからないのに、どうして社会貢献すると救われているという確信が持てるのだろうか。

しかし、カルヴィニストたちは、これを信じた。こうして禁欲的労働に励む人たちが大量に発生し、資本主義が成立したというのがヴェーバーの説だ。

実はおまけがあって、呪術は救済とはまったく関係ないので、そんなことに励んではいけない、ともカルヴァンは言っている。これによって、資本主義に必要な合理性も獲得したという。

 

勤勉でなければ救済されない

 

こんなことで資本主義が成立したとは、まったくもって信じがたいが、いちおう定説の地位を占めているようだ。

ちょっとわかりづらいので、図解してみた。

2012030701-2.jpg

要するに、カルヴィニストたちは可能性に賭けたのだろう。

最後の審判のときに、勤勉だったのに救済されず地獄に落ちる人がどう言うか見ものである(その上、怠惰だったのに救済される人がいたら、悔しいだろうなあ)。

なお、カトリックやギリシャ正教では、カルヴァンのようなことは言わない。

だから、ギリシャやイタリアは経済破綻しそうなのかもしれない。

 

「あきらめなければ成功する」は資本主義の精神?

 

冒頭でリンクした記事を読み返してくださった方は、そっくりの図があったと気づいておられるだろう。

もっと、そっくりに書き直した図を下に載せる。

2012030702.jpg

そっくりでしょう?

あきらめない人たちは、成功する可能性に賭けているだけのことだと分かる。だとすれば、「あきらめなければ成功する」という言葉に論理性・合理性はないとしても、感情的には十分理解できる。

僕なんかは、成功しなくても地獄には落ちないし、幸せだってあるんだよと思うのだけど。

 

成功には宗教的情熱が必要なのだ

 

さて、前回「成功哲学というのは、資本主義の社会でどうやって立身出世するかというノウハウ本なのである」と書いた

「あきらめなければ成功する」というのは成功哲学のセントラルドグマともいうべき考え方であるから、これが資本主義の成立と密接に関係があるのは、当然のことと言えよう。

成功哲学というのは、まさしく宗教(教義)なのだ(名著『自助論』が「プロテスタンティズムの倫理」に貫かれていることを思い出そう)。

成功哲学が宗教ならば、成功には宗教的情熱が必要だということになる。論理性とは無縁だ。信ずる者は救われる。疑うものは救われない。

A先生の周囲に宗教団体のようなヒエラルキーができるのも、むべなるかなということになる。

誤解してほしくないが、僕は宗教を否定していない。それどころか人間生活に必要なものだと思っている。

ただ、壺を買わされたり、カルトにのめり込んだりはしたくない。 

それには、あやしい論理だと思ったらできるだけ早く離れるしかない。だが、成功者も宗教家も往々にして人間的魅力が横溢しているから、それが難しい。それでも断固として離れるべきだとしか言えない。

自分の頭で考えられるなら、それも可能なはずだ。

このブログは、下記のパターン3になりそうな人を一人でも減らしたいと思って書いています。パターン1の人たちを非難・批判するつもりはなく、パターン2についてはむしろ尊敬しています。

  1. 成功哲学の本音を取り入れて、経済的に成功している人
  2. 成功哲学の方法論を取り入れて、人並みかもう少し豊かな暮らしをしている人
  3. 成功哲学のきれいなところだけを取り入れて、人並み以下の生活をしている人

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