そろそろFBのうざい"友達"切りの話をしようか
Facebookをやっていると、昔名刺交換をした程度のことで友達申請をされることが多々ある。中には共通の友人なんていうのを見て申請してくれたんだろうなと思う人もいる。
僕は、Facebookの友達申請でもTwitterのフォローでもAmebloの読者申請でも、してくれた人に対しては100%OKするようにしている。誰ならOKして、誰ならしないかというのを考えるのがとても面倒くさいからだ。
(Twitterにいたっては、フォローされたらフォローし返している。アンフォローされたらアンフォローもする。そういうことは機械的なので面倒くさくない。)
面倒くさいだけでなく、気も弱い。だから自分から察していなくなってくれるのが、一番ありがたい。
ということで、僕がうざいと思う人のリストを作ったので、見て、察していただければと存じます。
では発表です。
名刺交換しただけなのにいろいろ送ってくれる人
名刺交換しただけでFacebookの友達申請をする人について冒頭書いたが、こういう人はいろいろ送ってくれる。我流の毛筆で「絆」とか書いてある葉書などはほほえましいが(返事のしようがないのでしませんが)、DMはあまりほほえましいとは言えない(※)。
DM出すなら、仕事くれ~!
※面白いことに、まったく広告宣伝のないニュースレターという形式のものだけを送ってくる人は、必ずしばらく交際があってから送ってくる。シャイでいかした人がこういうものを送ってくれるんでしょうな。
ご縁が大事、なんてうっかり言ってしまう人
名刺交換しただけなのにいろいろ送ってくれる人と大きく重なるのだが、名刺とか、葉書とかに「ご縁を大切にします」などと書く人がいる。僕はこういう人はあまり信用しない。
というのは、昔こういう事件があったから。自称「ご縁を大事にするコンサルタント」という若造がいて、こちらから丁重なメールを出したのだけど、2週間ぐらい塩漬けにされた。それで催促したのだけど、まだ返事がこない。そこで「あなたは名刺に『ご縁を大事にします』って書いていたようですが、『縁』の意味をご存知なんでしょうか」と書いたら、ようやくお詫びとともに返事がきた。返事はきたのだが、こちらの聞いていることに対する返答はなかった。
「縁」という言葉について深く考えさせられたできごとであった。
考えてみれば、「人とのご縁が大切」なんていうのはあたりまえのことなのだが、そういうことが行動で示せないから文字にするのだろう。
一期一会、なんて軽々しくいってしまう人
「ご縁」ではまだ軽いと思うのだろう。「一期一会ですね」なんて縁起の悪いことをいう人も後を絶たない。
茶道の世界の言葉ですよ。元々は武士のたしなみなんです。互いに明日は戦場で死ぬかもしれない。今日でお別れという気持ちでもてなします。そういうことのはず。
ああ。僕とは二度と会いたくないということを婉曲に言っていたのか。合点。
絆の重さが分からない人
ご縁と同様に、「絆」という言葉を軽々しく使う人が多い。
瓦礫の受け入れが今のところ3都県(政府の呼びかけで広がりつつあるが)。絆なんて言葉、軽々しく使っちゃあいけないんじゃないだろうか?
これもご縁同様、行動で表現できないから文字で表現する。「今年の漢字」というのが毎年注目されるのは、こういう安易な人が増えているからに違いない。
生まれてきてくれてありがとう、なんていってしまう人
感謝の気持ち、否定しません。ただ、これをいきなり言われたら、気持ち悪いなあ。
会社の宴会であまり好きでもない上司にこんなことを言われたと想像してみてください。まあ、誕生日に女性が言うのは許容範囲内。そういう無邪気さは嫌いじゃない。
そもそも、人の存在に感謝するなんてこたあ、あなた、そりゃあ人間として当たり前のこと。人間は一人では生きていけないものだから。
親なんて一番ありがたいんだからこそ、なかなか感謝の言葉が言えない。でも分かり合えてるんじゃないの?健全な家族なら。
いちいちこんなことを表明してしまう人は、心理学的にはかなりやばいんじゃあないかなあ。
プチ有名人とお友達なのがうれしい人
誰かがこの前××さんとお会いしましたよとプチ有名人の名前を挙げると、私はそれよりもちょっとだけ親密だよーんみたいなコメントをしてしまう人、どうか勘弁してください。いらいらします。
たとえば、Aさんのセミナーに行きましたって誰かが書くと、Aさんとは現在イベントを企画中です、なんてコメントするやつね。
ところで名前が出ているAさん、けっこう有名なんだろうけど、そういうのに疎い僕が知っていたためしはない。
ことあるごとに自分の人脈をひけらかす人はあまり好きになれない。だって、Aさんのこと知らないの?なんて無神経な言い方で僕を責めるし。
数字でしかPRできない人
計算の仕方によっては成り立つんだろうけど、なんでそんな大げさな数字でもって自己PRしないといけないんだろうと思う人いますよね。あまり具体的にはいいませんが。
アマゾン1位なんていうのも、この類だよなあ。あ、いけない、いけない。必死でやっている人をバカにしてはいけない。でも、書いちゃいました。
数字でなくて、人柄で勝負してほしい、という人に限ってこういうことをやる。そう、いい人ほどやりがち。自分に自信がないんだろうなあ。
そういう数字は取り巻きは集めるが、理解者は集めない。もったいないけど、僕はあなたの取り巻き連中があまり好きでないので、根っこから絶ちたいと願っています。
人柄を自己PRしてしまう人
自分の人柄を自己PRしてしまう人にいたっては、数字でしかPRできない人より始末が悪い。
自分で「志だけは高い男です」なんて、書くなよ。
まあ、僕も経験があるので、あまり大きなことは言えない。
ただ、やっぱり人柄は人に評価してもらうもので、自分で書いている場合は、たいがい自信のないところを自分でほめているだけなのだ(経験者談)。
それって、ばれてますよ。特にあなたが一番ウケたいと願っている女性たちから。
いいかげんな資格で人の心を救うなんてやっている人
私ごとで恐縮だが、うちのヨメは臨床心理士の資格を持っている。これは大学院に何年か通って、ようやく取れるような資格だ。だからヨメがすごいといっているわけではない(すごいとは思っているが)。
人の心については、このぐらい勉強してようやく少し分かりはじめるという程度のものだと、僕はヨメに教えてもらったということが言いたいのだ。
ところが何ですか。世の中には数ヶ月程度の勉強で××認定カウンセラーみたいなお手軽な資格があるそうで、そんな資格でカウンセラーとかセラピストとか名乗っている人が多く、またそこそこ稼いでいたりもするそうで。
それって、僕から見たら、オセロ中島を嵌めた自称占い師と変わらないのだけど。
占い師は立派な職業です。自称占い師はいけない。同様に自称カウンセラーはいかがなものか。
文字だけの動画に感動的(笑)な音楽をBGMにした感動ストーリーをたれ流す人
これは単純にもう飽きました。もっとクオリティの高い映像を作ってくれないと、胸焼けするほど感動ストーリーを見てきた感動ストーリー通の僕たちには通用しません。涙もとっくに枯れ果てましたし。
だいたいBGMがださいぜ。忌野清志郎なら「ガキのきく音楽だ、うんざるするぜ」といいそうなものばかりセレクトしやがる。まあ、著作権の問題なんかもあって、素人に曲を作らせたりするからなんだけど(でも、テレビでもそんな曲ばかりセレクトしているが)。
まあ、こういうことなんだろう。「真心ブラザーズの曲で、『聴いてる奴らがバカだから』って名曲があったよな」(『瀕死の双六問屋』忌野清志郎)。
有名人でもないのにTwitterのフォロワーがフォローより圧倒的に多い人
何なんだろうね。よく分からないよ。とりあえずはフォローして、フォローされると、アンフォローする。そういうやつが多すぎる。
そういうやつに限って、ソーシャルネットワークで儲ける方法なんてうまい話をただで教えてくれようとするのだが、そういう好意を素直に受けないからアンフォローされるんだろうか?
どうでしたか?あなたのことが書いてありましたか?
まあ、ここまで読んでくださってるってことは、当てはまってなかったんだろうなあ。これからもよろしくです。
あなたも真の友人、本当の理解者とだけお付き合いしたければ、このようなリストを作って、ブログに載せることです。
当たり前のことをしたり顔で言うことで当たり前のことが分からない連中を集めようとするやつらに天罰が落ち、自分にしかできない当たり前でないことで勝負している人に幸いあれ。
(注)忌野清志郎の『瀕死の双六問屋(完全版)』を肴に酒を飲んでいたら急に怒りが湧いてきて、衝動的に書きました。ただ、飲んでいたときに書いたものはとても掲載できなかったので、全面的に書き直しました。
なお、今回のタイトルは言うまでもなく島田徹さんの「そろそろ脳内ビジネスの話をしようか」のパクリです。同ブログと間違えてアクセスしてもらうのを狙っています。島田さん、いつもありがとうございます。一緒に職人のパラダイスを作るべく奮戦しましょう!
(追記)今朝見たら、リツィートしてくださる方がいて、それを見てお気に入りに入れてくださる方がいました。ありがとうございます。それで、記事を見なおしてみたら、現在と違うことが書いてありましたので、こちらで補足いたします。
2013年の暮れに思うことがありまして、FBもツイッターも大幅に整理させていただいております。ツイッターのフォロー返しは現在やっておりません。FBにつきましては、基本的に一緒に飲みに行って意気投合した方だけ友達申請を承認させていただいております。生意気と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自分なりに人付き合いというものを考えたうえでの結論ですので、笑って見逃していただくと幸いです。
このブログは、仕事それ自体を楽しむ人を増やすことを目的に書いています。