なぜ服装に無頓着だと軽く見られるのか
昨日、加藤恭子さんが「物事がうまく行かない人は、自分の専門ではない周辺領域をおろそかにしてませんか?:コミュニケーションにおける服装や声の重要性」というブログを書かれていて、頷くこと数十回。特にIT業界は、両極端な傾向があるように感じています。服装、話し方、話すための準備といったことを周到にやっている人と、行き当たりばったりで服装にも無頓着な人。服装に無頓着というのは、たとえスーツを着ていても、ズボンに折り目がない、ワイシャツの袖のボタンを外している、といったことも含みます。要は「見た目にだらしない」ということですね。
かくいう僕は、ここ最近ジーンズで仕事をしていることが多いです。しかし、だらしない格好はしないように気をつけています。「だらしない」というのは、フォーマルとかカジュアルとかいった「種類」とは別のところにあるからですね。服装の「種類」は自分で決めることができますが、「だらしない」は他人からそう見えるということですので、いくら自分がスーツを着込んでいるからと言っても、他人からだらしなく見えてしまってはもったいない。
こんな例があります。前職で採用面接をした際に、40歳のエンジニア応募の男性がいました。事前に「仕事帰りに面接に行きます。普段はジーンズなので、面接だけスーツを着て行くのははばかられるので、ジーンズでいいですか?」というご質問をいただいていたので、そこは承諾していました。
当日、会議室にお通ししていたのですが、会議室に入ってみるとよれよれのネルのシャツに、腰からは右半分だけ下のTシャツの裾が出ている。メガネは指紋なのか目がよく見えないくらい汚れている。申し訳ないのですが、面接する意気込みが大きく削がれてしまいました。
つまり、この「見た目」からは、とてもいい仕事(きちんと最後までやり遂げるという意味で)をする人に見えなかったのです。(あくまで僕の視点です)
初対面とはそういうことだと思うのです。高いものを身に付けるという話とは全然違います。ユニクロでもいいし、もっと安くても構わないのですが、こざっぱりとした人、あるいはリーズナブルなものだろうけど、オシャレに着こなしている人は、軽く見られにくいということはあると思います。
分相応という言葉がありますが、そこにさほどこだわる必要は感じません。自分がどういう仕事をしていくのか、そのために最大限の努力をする人は、直接的な準備だけでなく、そういった間接的な準備も怠っていない。年始にお会いした方々から、そういう学びをいただきました。