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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

相手の言葉を忖度するのはやめる:したいこと、してほしいことを文章で話させる訓練

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子どもが「喉、乾いた―」と訴えると、周囲の大人は、「そうなのね、じゃあ、牛乳入れてあげるね」などと応じてしまいがちだけれど、「喉、渇いた―」というのは現状を伝えているだけであって、「何がしたい」とも「何をしてほしい」とも言っていないので、ここはひとつ、「喉が渇いたのね」「それで?」と突っ込んだほうがいいんじゃないだろうか? ・・・という会話をある方と交わしました。

昨日まで甥っ子(たち)と旅行をしていて、彼(5歳)が子ども用の本が借りられるというので、フロントのお姉さんに

「"ぐりとぐら"」

と言うのを脇で聴いていたおばちゃん(=私)は、

「"ぐりとぐら"、じゃなくて、"ぐりとぐら"の絵本を貸してください、って文章でお話してね」

と注意し、再度言い直させました。

「"ぐりとぐら"」だけで通じて、周囲が何かしてくれると思ってはいかん、と考えるからです。

これ、実は幼児だけではなく、大人でもよくある現象です。

新入社員研修では、しばしばこんな会話が繰り広げられます。

「テキスト、家に置いてきちゃったんですけど・・・」
「はい、置いてきたんですね」
「だから、置いてきちゃったんですけど・・・」
「はい、置いてきたのはわかりました、それで?」
「だからないんです」
「ないんですね」
「・・・・」
「何かしたいこと、してほしいことがあるなら、それをちゃんと伝えてくださいね」
「予備のテキスト、ないんですか?」
「ありますね」
「・・・・」
「望んでいることをちゃんと文章で話してくださいね」
「予備のテキスト、貸してください」
「はい、わかりました」

ちょっと大げさに再現していますが、こういう会話22-23歳でもよくやっています。

「テキスト、家に置いてきちゃったんですけど」と「喉、乾いた―」は、同じなんですよね。

で、疑問に思わなければ、「テキスト、置いてきちゃったんですけど」→即答で「はい、じゃあ、予備のを貸し出しますよ」と応じてしまうのですが、それではいけない。

言葉になっていないことを「忖度」してはいけない。
「行間を読む」のもよろしくない。

日本人は、もともと「高コンテキスト文化」なので、「喉、乾いた―」と言われれば、「はい、ジュースね」などと応じやすいけれど、そうやって忖度し、行間を補っていては、言葉の力が育たない。

だから、あえて、
「だから?」
「それで?」
「何をしたいの?」
「何をしてほしいの?」

を文章で言わせるようにしています。

忖度しちゃった方が簡単です。時間掛けずに次に進めます。

だけれど、忖度ばかりしていたら、「したいことを文章で述べる力」「してほしいことを相手に文章で伝える力」が育まれない。

グローバル化とか多様性(ダイバーシティ)とか、どんどん進むでしょうが、そういう世界になったら、誰も忖度なんてしてくれないでしょう。背景文化が異なるのだから。

年長者ができることは、だから、子どもや若手の言葉を「忖度しない」だと思っています。


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