「昭和上司」は変わらないのだろうか。
「昭和上司」と名付けているタイプがいます。
怒鳴る。
仕事に「根性とか気合」を持ち込む。
「ただ、ひたすら頑張ればよい」という。
「ゴルフや飲み」がとても大事。
などなど。
「モチベーション?はあ?それ、なんですか?」
というタイプ。
「気合が足りんのじゃ」というタイプ。
こういうタイプ、まだまだ、企業には生息しているようで、(この20年でだいぶ減ったのだけれど、私以上世代、つまり、50代にぎりぎり残っているようで)若手は、うんざりしている模様です。
均等法初年度世代の私は、たまたま最初に入ったのは外資系だったこともあって、多少のセクハラ発言は耳にしたものの(多少じゃないか?)、いわゆる「昭和上司」には会うことなく無事ここまで生きてこられました。
だから、時々、仕事先で、プライベートな集まりで、「昭和上司」の話を聞くと、うーん、50代も少し頭柔らかく、現代に合わせて自分も変わる必要があるんだけどなぁ、と同世代なだけに、悲しい気持ちになったりします。
先日聞いた例では、「体調が優れないので本日は休ませてください」とか細い声で電話してきた若手に、マネージャが「延々20分以上」説教していた、という話。
「病院に行ったのか?」
「なぜ病院に行かないんだ?」
「9時には病院、やってるだろう?」・・「いや、会社にまずはTELしようと思って」
「そもそも、体調管理がなってないんじゃないか」
「いったい、どうして体調が悪くなるんだ」
・・・具合悪くて、ようやくTELして、TELしたら、病院に行こうと思っているという部下に延々の説教。
そのうち、「気合で治せ!」とか言い出しそう。
(そういえば、「根性出せ」というエントリーも以前書いたことがありました)
体調は、管理しているつもりで、何かに感染することがあるし、波はあって、崩すこともあるし、不可抗力も多々あるものだと思うのだけれど、それに、叱ったからって体調がよくなることは1㎜もないわけで。
こういう例を今でもたまに聞くのだけれども、なんだかなぁ、と思ってしまうのです。同世代なだけに、悲しい。
たぶん、その50代上司は、そうやって「鍛えられてきた」という「体験」があって、それを自分もしているだけなんでしょう。
今読んでいる『21世紀のキャリア論』(高橋俊介著、東洋経済新報社)の中で、高橋さんが、こんなことを書いています。
趣旨を書きます。
ある企業の営業本部長は10年前までトップ営業だった。部下が「ずっと食い込みたい社長がいるのですが、どうやって懐に飛び込んだらいいでしょう?」と相談。「おお、おれは、15年くらい前に、社長の自宅に毎朝7時に行って、自宅前を掃除していたら、えらいやつだ、と社長が家に入れてくれ、取引が広がったんだ」と教えた。部下はさっそく「やってみます」と実践したところ、警察に通報されてしまった
ありがちだなあと笑いながらこのくだりを読みました。
「本当にダメな人とは、行動が変わらない人なのである」
とも。
Learnのほかに、Un-Learn(学習棄却)とRe-Learn(学び直し)も必要だといわれています。
中年以降は、このUn-Learnが難しいため、Re-Learnもできなくなるのでしょう。
北海道大学・松尾陸先生は、「昔のヒーロー」という表現を使っていらっしゃったと思います。
中高年は、いつまでも「上から目線」で、「過去の成功体験」をかさに若者に、「こーすればいいんだ」「これが仕事だ」と言ってないで、今の時代にあった考え方ややり方をやはり学ばないといけないと思うのです。
なんてことを考えていたら、ふと2年前の会話を思い出しました。
「若い人に付き合ってもらえるような人になればいいんだ」という話。ここには書いていないけれど、実はGoogleの及川卓也さんの発言。「若い人に付き合ってもらえる中高年」という発想、大事なんだと改めて思う次第。