オルタナティブ・ブログ > 竹内義晴の、しごとのみらい >

「しごと」をもっと楽しくしたい!

行政区は知らない誰かが決めた「架空の境界線」。同じ課題を抱えているなら、理想を掲げて協働することが大切なのかも

»

こんにちは、竹内義晴です。

先日、妙高にご来訪くださった沢渡あまねさんが書かれた、想い熱々の記事「県境の底力」~越境学習と地域活性の観点から(妙高ワーケーションの成果(その2))を拝見しました。

妙高にご来訪いただいたことをきっかけに、思考を深めてくださりありがとうございます!

20221102.png

沢渡さんの記事の内容は、ぜひ、ご一読いただくとして、この記事をお読みのみなさんのために一言で要約すると、「行政的な境界で線を引く意味は、相手(受け手)にとってない」ということなのかなと理解しました。

そこが何県に属しているかなんて訪れる人からしたらどうでも良い。だから、県境というエリアは平和なサードプレイス。「コラボレーションのハブとして機能させるといいのでは?」と。

この、「行政的な境界で線を引く意味は、相手(受け手)にとってない」について、ボクには思い出す話が2つあります。

1つは、知人から聞いた「他の地域から見れば、小さな行政区は関係ない(同じに見える)」という話。もう1つは、以前、サイボウズ式の取材でお話を伺った、宮崎県日南市の田鹿倫基さんから伺った「人は、架空の境界線に支配されている」「個人を犠牲にしないために、境界線をなくしていこう」というお話です。

他の地域から見れば、小さな行政区は関係ない

まず、1つ目の「他の地域から見れば、小さな行政区は関係ない」について。

この話は、隣の市に住む知人のIさんから聞いた話なのですが、Iさんはボクにこう言いました。

地域の中の人は、やれ○○市だ、□□市だと、行政区をすごく気にするけれど、他の地域の人から見たら、新潟の下の方とか、ともすれば新潟のどこにあるかも分からないのが普通ですよね。

地域を活性化するなら、小さな行政区同士で敵対意識を燃やすよりも、本当は、お互いが協力しあったほうがいいんですよね。"ほかの地域からどう見えるか"ということのほうがはるかに重要だから。

この話を聞いたとき、ボクは「なるほど!」と思ったと同時にめっちゃ共感して、「ホントそうだな」と思たんです。

というのも、ボク自身がそうなのですが、たとえば、多くの人が知っている地名が多い東京も、「渋谷」とか「新宿」といった地名は知っていても、それがどこにあるのかはよく分からないです。街の特徴だって詳しくはイメージできません。

ボクの住む新潟の小さな市ならなおさらです。妙高のことを知らない人も多いでしょうし、新潟のどこにあるかをご存じない人もたくさんいるでしょう。つまり、地元の人が、やれ「○○市だ!」「□□市だ!」とこだわったところで、地域外の多くの人はほとんど認識できないわけです。

この気づきは、ボクにとって大きなものでした。それ以来、地域の何かしらに取り組むときは、行政区は過度に意識せずに、「ほかの地域からどう見えるか」を意識して、「新潟の下の方」ぐらいのエリア感で捉えてきました。

人は、架空の境界線に支配されている

もう1つの「人は、架空の境界線に支配されている」について。

本来、土地には境界線などないのに、ボクらは、誰が引いたのかわからない行政区という境界線にかなり支配されていますよね。

先ほど紹介したサイボウズ式の記事で、田鹿さんは次のようにおっしゃっています。

「地域」というのは架空の存在であって、実態ってないんですよね。でも、それに頭が支配されて、問題を勝手にややこしくしてしまうときがある。

出典:地方は組織も「空き家化」している? 維持できない組織やルールはなくそう──宮崎のシャッター街を再生した田鹿倫基さん | サイボウズ式

このお話をうかがったとき、「ホントそうだな」と思いました。

地域の外からは、あまり行政区という見え方はしていないのに、どうしても、行政区という誰かが引いた境界線を無意識に意識してしまう。その結果「ここは○○だから」「昔から○○だから」「○○のようにすべきだ」なんてやってしまう。

まぁ、それはある部分では仕方がないんでしょうけど、過度に行政区を意識した議論は「それって、意味ある?」って思っちゃうし、それによって生じている縄張り意識や敵対関係があることを知ると「それって、必要?」って思っちゃう。

「そんなにバチバチやり合わずに、もうちょっとうまくやりません? 協力し合いません?」なんて、思うことがよくあります。

同じ課題を抱えているのに奪い合ってもつまんない。理想を掲げて協働したい

地域の中には、人口減少や少子高齢化など、共通の課題があります。

すると、「来訪者を増やそう」「人口を増やそう」みたいな話になるわけですが、自分たちの地域の人口が増えるということは、他の地域の人口が減るということだから、大きくとらえると、自分たちの地域の人口だけが増えたところで、問題は何も解決していないし、解決したことにもならない。

こういった「自分たちだけがよければいい」みたいな競争はあまり楽しくないし、つまんない。

これらの課題に対して、本来なら「こういう風にしていこうよ」という共通の理想をかかげて、協力し合えればいいのになと思います。

もちろん、中には合う人、合わない人がいるし、利害関係があったりするから、全員が全員、共感・協働しなくていいんでしょう。

でもボクは、理想に共感し合える人たちとつながりたいし、一緒に仕事がしたいな。エリアとか関係なしに。

そういう意味で、個人的には最近、1つの地域だけでやるよりも「つながったほうが面白そうだし、参加者にとってもよさそうだから、一緒にやりませんか?」なんて話をする機会が多いです。いまも、そんな構想を進めています。そっちのほうがやっていて楽しいし、集っていただくみなさんも楽しいと思うから。

そういう、プロジェクト的な感じが個人的には好きです。

冒頭に紹介した沢渡さんは、記事の中で次のように言っています。

県境なおかつ中立的な立ち位置になりやすい土地は、地域間コラボレーションの「平和なサードプレイス」(第三の場所)として十分機能し得ます。

出典:「県境の底力」~越境学習と地域活性の観点から(妙高ワーケーションの成果(その2))

ケンカし合ったり、奪い合ったりするのではなく、こういった「集う」とか、「コラボレーションする」といった感覚のほうが、実は、大切なんじゃないかなぁ。

沢渡さんの記事を拝見して、そんなことを思ったのでした。

最後に、沢渡さん、妙高のことをたくさんとりあげてくださってありがとうございました! また、三ヶ日にも遊びに行きますね。

Comment(0)