「当たり前」で「わかりにくいこと」ことをわかりやすく伝えたい
誰かに何かを伝えたいとき、「こうすべき」と、自分の考えを伝えたくなることがよくある。
もちろん、何かを「伝えたい」のだから、自分の言葉で伝えればいいわけだし、「これはこうだ」と言えばいいのだけれども、「伝えたい」けど「伝わらない」ということが、よくある。
例えば、上司から部下に、あるいは、親から子供に、「ちゃんとあいさつしなさい」と伝えるのは、しつけという意味では大切だけど、このような「命令」的な言葉は、多くの場合、「あなたはこれができていませんよ」ということを暗に伝えることになるし、上から目線で、命令をされてうれしい人はあまりいないから、言われたほうは批判的な感情を抱くことが多い。
また、当たり前のことを、当たり前に伝えるのは、ことのほか難しい。よく、小学校に行くと、壁に、「あいさつしよう」「目を見てはなそう」「ニッコリえがおで」なんて書いてあるけれど、その内容が当たり前であればあるほど、「まぁ、そうだよね」みたいなスローガンっぽい伝わり方になってしまい、ほとんどの場合、相手の心に響かない。
つまり、理想論をとうとうと語っても響かないのだ。
伝えるって、難しいね。でも、伝えなければならないことが、よくある。
このような場合、どのように伝えたらいいのだろう?
いくつかのポイントがあるように思う。
一つは、相手に寄り添うこと。
一つは、間接的に伝えること。
「相手に寄り添うこと」とは、「相手の気持ちになる」ということだ。
例えば、「あいさつしたほうがいい」というのは、多くの人は言われなくても分かっている。でも、はずかしかったり、緊張したり、なんとなく億劫だったり、いろんな理由があって「しない」を選んでいる。
「できない」のではない。「しない」のだ。いろんな理由があって。
ここで、「ちゃんとあいさつしなさい」と言われると、「そんなこと、わかってるよ!」「いま、しようと思っていたんだよ!」と、なんとなくイヤーな感じがする。
でも、もし仮に、最初に「あいさつって、はずかしいよね」「緊張するよね」「億劫だよね」「わかっているけど、なかなかできないよねー」と言われると、「うん」「そうそう」となる。「この人、私のこと、分かってくれているなー」って感じがする。
つまり、「相手がどう思っているか」を想像し、それを最初に伝えるのだ。こうすることによって、相手との心の距離がグッと縮まる。
縮まった後なら、「でも、やっぱりあいさつはしたようがいいよね」と言われても、「そうだなー」って感じになるし、そんなに抵抗感を抱かない。
この、相手に気持ちを想像し、合わせ、心の距離を縮めることを、心理学用語では「ペーシング」と言う。
もう一つの「間接的に伝えること」とは、「当たり前のことを、当たり前に伝えない」ということだ。
例えば、「あいさつをしよう」のような、分かり切った、スローガン的な言葉は、多くの場合、相手の心の中に響く言葉として入っていかない。
でも、「オレ、昔、あいさつしないで、お客さんからすごく怒られたことあるんだよー」とか、「オレ、昔、同僚からあいさつされなくて、なんだか、無視されたような気持ちになったことがあるんだよねー」みたいに、体験談の形で伝えられると、直接的に、「あいさつしなさい」と言われたわけではないけれど、なんとなく、「そうだな、やっぱりあいさつって大事だな」と感じることがある。
間接的に伝える方法には、「たとえばなしを使う」「体験談を話す」など、いろんな方法があるが、この、「間接的に伝えること」を、心理学用語では「メタファー」と言う。伝えたいことを、他の話や物語にのせて伝えることで、相手に抵抗感を抱かせることなく、伝えることができるのだ。
このように、「伝えにくいことを、分かりやすく伝える」「抵抗感を抱かせず、相手の心に響かせる」方法はいくつかあるわけだけれど、知っていて損はない。
でも、いざ、伝える側になると、やっぱり、相手に寄り添うことなしに自分の主張を上から目線で伝えてしまったり、直接的に伝えてしまったりしがちだ。
伝えるのって、難しいなーと思う。だからこそ、伝えがいがあるなーとも、思うのだ。
分かりにくいことを、当たり前のことを、でも、大切なことを、相手の心に響くように、分かりやすく伝えたい。