前提によって変わる「迷惑の質」
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こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
日本ではよく、「人に迷惑をかけてはいけません」と教えるけれども、海外では、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるらしい。
「人に迷惑をかけてはいけない」という過度な思い込みは行動の制限になるから、「そもそも、人とは迷惑をかけるものだ」というのは、制限をゆるめる上で大切だと思うし、人のことを許すことは、とても大切だなと思う。
一方で、「人に迷惑をかけてもいいんだ。なにをしてもいいんだ」と思ってかける迷惑と、「迷惑をかけないほうがいいけれど、それでも、じぶんの力でできないことや、失敗してしまうことはたくさんあるから、そのときは他の人の手を借りよう」と思ってかける迷惑では、その質が違うのではないかと、個人的には思っている。
「ここだけは守ろう」とか「ここから先に行くのは失礼だな」みたいな、「人として、こういうことは大切」という最低基準はあるように思う。人に迷惑をかけないほうがいい。それでも、人は迷惑をかけてしまうものである。だからこそ、失敗が許されたときに「ありがたいなー」と思うのだろうし、「もし、まわりの人が失敗しても許してあげよう」と思えるのではないか。
今日もお読みいただきありがとうございます。迷惑をかけるでも、かけないでも、「どっちかに振れすぎなければいい」のかもね。
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