叱っちゃいけないわけじゃない
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
蜷川幸雄さんが亡くなったという報道がメディアに溢れています。
ボクは演劇にはそれほど興味があるほうではないし、蜷川幸雄さんのことも詳しく存じ上げないのですが、報道を観るたびに、「なぜ、こんなに慕われているのだろう?」と疑問に思うとともに、人を育てるために必要なことを考える機会になっています。
蜷川幸雄さんについてメディアから流れてくる声は、「灰皿を投げる」「人格を否定するほど罵倒する」など、現代の教育的観点からみると、ちょっと首をかしげたくなるようなものばかりです。もちろん、メディアの情報ですから、象徴的な部分を切り取られているとは思いますが、それにしても、それほどの指導をしてもなお、なぜ、蜷川さんはあれほど多くの俳優に慕われていたのでしょうか。
それを言葉にするのは、なにか、薄っぺらくなる感じがして嫌なんですけど、やっぱり、言葉の裏側にある愛情とか、迫りくる本気度みたいなものなのでしょうかね。
誰もが、罵倒されたら頭にくるし、人格を否定されたら心が折れる。だから、近年ではそういう指導はあまり歓迎されず、「褒めましょう」「いいところを伸ばしましょう」的なことが言われるわけですけれども、本当は、叱っていけないわけではないし、罵倒していけないわけではないのだろうなーと、蜷川さんの報道を観て、思います。
でも、それができるってことは、本気じゃないとできないし、愛情がなければできない。あと、そのあとのフォローがないとできないわけで、何かこう、叱るというのは、人を見る目や、高度な何か(単純な、やり方ではないことは確か)が必要なのだろうなーとも、合わせて思います。
ボクは、研修等で、「叱っちゃいけないわけではないです。そのやり方でうまくいっているのなら、それでOKです。でも、そのやり方でうまくいっていないのなら、変える必要があります」とよく言います。
人を育てるって、たぶん、育てる側の力量が問われるんだろうなー。