心技体―武道とコミュニケーションの共通点
ボクは小学校から高校まで剣道をやっていた。
高校時代は、授業のときにちょっとやっただけで
真面目にはやっていない。
だから、真面目にやっていたのは
近所のおじさんがやっていた剣道クラブで習っていた
小学校から中学校までの9年間ということになる。
週に1回の練習だったけれど、初段まではとった。
剣道と言えば、竹刀で打ち合うスポーツである。
昔は実際の刀だったのだろうか。
現代は竹刀のおかげで死なずに済んでいる(よかった!)。
剣道は、竹刀での打ち合い。
つまり、戦いである。
外から見ていると、竹刀で打たれると
とても痛いように思われるかもしれないが
うまい人から打たれても実はそれほど痛くない。
うまい人は、打つ瞬間に
まるで雑巾を絞るかのように竹刀を握り、瞬間的に力を入れる。
そして、手首のスナップを効かせて「パンッ」と軽やかに打つ。
だから、痛くない。
だが、下手な人は違う。
手首のスナップもなく力任せに打ってくる。音も重く、鈍い。
しかも、打つべきポイントから少しずれたりするものだから
打たれるとすごく痛い。
毎日の生活の中では、できれば無理に戦わず、穏便に、ハッピーに過ごしたいと願う。
だが、何らかの事情で戦わなければならなくなることがある。
望んでいない戦いを挑まれることもある。
それを思うとき、コミュニケーションも剣道と同じなんじゃないかなぁと思う。
言葉は、見えない刀みたいなものだ。
戦いが上手い人は、相手を痛めつけず軽やかに1本を取る。
戦いが下手な人は、相手を痛めつけるだけ痛めつける。
痛めつけると、勝ったように思えるかもしれないけれど
それでは、1本取れたことにはならないんじゃないだろうか。
少なくとも、審判(審判は、周りの人かな)は旗を挙げてくれないのだろう。
そういえば、習っていた剣道の先生は
「心技体(しんぎたい)」という言葉を教えてくれた。
強くなるためには、
心と技と体、どれか1つでも欠けてはいけないんだよと。
小学生のころは、強くなれば(技と体)それでいいと思っていたけれど
心(思いやり、やさしさ、豊かさ)がなければ
本当の意味で、戦いは上手になれないということだったんですね。
40歳を迎えて、やっと先生が言っていたことが
少しだけ分かるようになってきた気がします。