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「気軽に悩み相談に乗るのは危険だ」について、現場の視点から

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イケダハヤトさんの
気軽に悩み相談に乗るのは危険だ、という慎重論
という記事を拝読しました。

家入一真さんの

に対して

「悩み相談に乗るって事は相手の人生を背負う事ですよ、そんなに気軽にやるべきでは無い、専門家に任せなさい」という意見に対して、僕は異論を唱えます。

~中略~

そうしてみんなが慎重になって、悩んでいる人に対して腫れ物に触るような態度を取れば、腫れ物はかえって肥大化してしまう危険があります。

という意見を述べられています。

私はプロのコーチやカウンセラー、学校の先生方、経営者のみなさんなどに
コミュニケーションのトレーニングを行っていたり
自身も相談にのることがあることから
一人の専門家・・・などと大げさなことを申し上げるつもりはありませんが
多少、現場での経験があるので、イケダハヤトさんと家入一真さんのご発言について
何か役立つことがあるかと思い、思った事、感じたことについてお伝えしたいと思いました。
 
 
 
■「悩み相談に乗るって事は相手の人生を背負う事」について

まず、家入さんのご発言にある
「悩み相談に乗るって事は相手の人生を背負う事ですよ、そんなに気軽にやるべきでは無い」について。

プロのカウンセラーであればあるほど、相手の人生を背負うことはありません。
「相手のことは、相手のこと」(相手のことは相手にしか解決できない)ということを知っています。
(言い方を変えれば、「この人は自分の力できっと解決できる!」という思いがあります)
であるからこそ、1日に複数人の相談にのることができます。
もし、相談のたびに相手の人生を背負っていたら、苦しくてカウンセラーなどできません。

そういう意味からすれば、
「悩み相談に乗るって事は相手の人生を背負う必要があるか」という文脈だけを捉えるならば
「その必要はない」と、私は考えます。

専門家にまかせることも大事かもしれませんが
一人ひとりができることをやることも大事です。

一方、カウンセラーがきちんとした距離を保ちながら対応できるのは
トレーニングを積んでいるからこそなのは間違いのない事実です。
経験の浅いカウンセラーほど、何かをしてあげようとアドバイスをしがちで
最終的には相談者の自己解決をさまたげてしまいます。

言い方を変えれば、プロのカウンセラーは
「相談者のことは相談者しか解決できないことを知っている」
「自分ができることをきちんとわきまえている」
という言い方をしたほうが、伝わるかもしれません。
 
 
 
■「生き方相談室」について

次に、イケダさんの記事の文中にあった、「生き方相談室」について

(Facebookグループに登録してみました。承認まで時間が掛かるそうです。
 まだ、グループ内のご発言を見ていない状況下での発言であることをお許しください)

悩んでいる学生のみなさんが、悩んだ時代を生きた先輩の話を知ることによって
「そうか、みんなこの時代は悩んでいたんだ。これでいいんだ」とか
「これだけが選択肢じゃないんだ。他にも可能性があるかもしれない」とか
誰もが経験するような「就職の問題」のようなテーマで
「視点を変えるきっかけ」「背中を押すきっかけ」の場なら、
すばらしい場だと思います。

「ゆるいつながり」として、ソーシャルメディアは媒体としても最適ではないでしょうか。

1つだけ、気になる部分があるとしたら、こちらのFacebookの記事にある
家入さんがこの相談室を作ろうと思った背景とメッセージです。

こちらにある家入さんのメッセージには、「大学生の自殺」とうたわれています。
そのようにうたうと、そのような立場に置かれている大学生が集まることになるでしょう。
「死を覚悟するぐらいの気持ち」という背景を持って、相談してくる人もいるかもしれません。

気になる部分とは、相談したい大学生は「死の覚悟するぐらいの気持ち」なのに
アドバイスする側がそれほど深刻とは捉えていない場合、「思いのギャップ」が生じることです。
それがどんな影響を与えるかは、少し気になるところではあります。

以前、NHKのニュースを観ました。
がんなどの病を抱えているみなさんが、お互いの悩みや解決策について
実際に体験している方同志がネットの掲示板で情報交換することで
「ひとりじゃないんだ」「大丈夫なんだ」と思え、安心できる場になっているという内容でした。
(書き込みは自由なので、それぞれの方は専門家とは限りません)

この掲示板が、患者さんにとって価値ある場であるのは
きっと、皆さんが死を意識せざるを得ないほど真剣で、
お互いがお互いの立場や辛さを分かり合えるからこそなのではないかと思っています。
もしそこに、風邪しかひいたことのない方が軽い発言をしたら、違った空気になるかもしれません。

「いや、多様性が大事なんだ」という意見もあるかもしれませんが
「大学生の自殺」をテーマにするのであれば
相談したい人と、相談にのる人の「こころのレベル」や「背景」が
ある程度一致しているのが理想かなと思いました。
 
 
 
■この意見のまとめ

悩んでいる学生さんの言いたいことに耳を傾ける。
「よくがんばっているよ」「今悩んでいることが、きっと将来役に立つよ」
ちょっとしたねぎらいの一言や、明るい未来が示唆できるような言葉をかける。
そういう場があることは、価値のあることなのではないでしょうか。

言葉の力は、偉大です。
それは、専門家でなくてもできることだと思います。

ただ、言語情報によるネットのやりとりは、誤解が生まれやすいことも事実です。
何らかのルールは必要かもしれませんね。
批判的は表現ではなく、肯定的な表現にしようとか?
言葉の力は偉大ですが、ナイフにもなりえますから。

今回のテーマは「気軽に悩み相談に乗ってよいか、否か」でしたが
「誰が相談に乗るか」も大事だと思いますが
「どのような場にするか」という制度設計のシーンで
専門家の意見を聞くことも大事かな?と思いました。

そんなことを思った次第です。
生意気申し上げました。どうか、お許しください。

最後に・・・

これは、東日本大震災のときに寄稿した記事です。
どんなシーンでも、関わり方は同じです。参考になれば。
こころの処方箋:元気になれない周りの人との関わり方――震災時のメンタルケア

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