何が幸せで、何が不幸なのか?―「たられば」を考えても、新しい未来は生まれない
午後6時。
渋谷駅の南改札を出て左に曲がると、いつもいい匂いがしてくる。
飲食店?いや、違う。飲食店など見当たらない。
あるのは、ゲート下に並ぶ、ひと一人が横になれるほどの段ボールの列。
カセットコンロでインスタントラーメンを煮ている人がいる。
いい匂いとは、このラーメンの匂いだ。
視線を上げると
弁当を食べている人、パンを食べている人、さまざまな人がいる。
そして、右手には焼酎の缶。
結構、食は豊かに見える。
「食料はどうやって調達しているのだろう?」
「酒を買う現金はどうやって稼いでいるのだろう?」
力強く生きている彼らの姿にいつも驚く。
食事をしたり、毛布にくるまったり、本を読んだり
ご近所さんと話をしないでもなく、するでもなく
微妙な距離感を保ちつつ、段ボールが等間隔に並ぶ住宅街がそこにある。
しばらく歩くと、段ボールの住宅街から離れ
スーツに身を包んだビジネスマンが行き来する。
シャキッとしたシャツとスーツを着て、さっそうと歩く人もいれば
うつむき加減の疲れた表情の人々も目立つ。
この、2つの世界のギャップを目にすると
「幸せって何だろう?」と、いつも思う。
もちろん、一般的に考えれば
家があって、ガスも、電気も、水道も使えて
エアコンが効いた部屋で過ごすほうが快適だ。
スマートフォンを右手に持ち、高価なものを身にまとう。
時には友達と居酒屋に出かけて、酒を交わすのもいい。
豊かで安定した生活が、そこにはある。
そのために、みんな汗水流して一生懸命働く。
だが、時にはストレスを抱え、精神的にしんどくなる人もいる。
片や、家は段ボール。
冬場は極寒の中で凍え、夏場は暑さの中で耐え忍ぶ。
一張羅に、いつでも移動できそうな壊れかけのスーツケース。
何の安定も保証もない。
ひょっとしたら、中には以前、家族と過ごしていた人もいるだろう。
今は、家族と離ればなれ。
だが、生きるために必要な飯と酒、そして、誰にも縛られない自由がある。
そして、改めて思う。
「幸せって何だろう?」
「幸せになりたい」
「豊かな生活がしたい」
と、誰しもが願う。
何が幸せで、何が不幸なのか。
何が豊かで、何が豊かでないのか。
その答えは、人それぞれで、
そのはざまで、人はいつも迷う。
そして、こう思う。
「あの時、○○を選んでおけば……」
ボクもそうだ。しんどい環境にいればいるほどそうだ。
けれども、もう片方を選んだら本当に幸せになれたのか?
いや、それは誰も知らない。
ひょっとしたら、もっと不幸になっていたかもしれない。
その時、その時の選択は、常にベスト。
「たられば」を考えても、新しい未来は生まれない。
ということは、今はどんな環境にいるとしても
未来をどうしたいのか……最後はそこにたどり着くのだろうか?
一人でも多くの人が、
毎日楽しく働いて、自分らしく生きられたらいいのに……と願う。
しばらく歩くと、インスタントラーメンの匂いが薄れてきた。
「よし、やるか!」
なぜかいつもここでスイッチが入り、歩道橋を駆け上がる。
どっこい、みんな、生きている。
追伸:
でも、少し気になることがあります。
それは、段ボールの住宅街付近に
けっしてその生活を望んでいるようには見えない
すごく不安そうな表情をしている
30代ぐらいの人をちらほら見かけることです。
しんどいと思いますが
なんとか・・・がんばってほしいと思います。