私が「意識が高い」という言葉を使わなくなった理由
「意識が高いみなさんとご一緒にさせていただくだけでうれしいです」
私の場合、「意識が高い」とは
私には持ち得ていないビジョン、すばらしい考えや意見を持っている方に
尊敬の意味を込めて使う言葉でした。
本当に意識が高い人は、自分のことを「意識が高い」とはあまり言わず
(というより、むしろ謙虚で)
言葉よりも行動や結果で示すようなイメージがあります。
そして、「その考えを持つようになった背景」が
さまざまな経験や苦労に裏付けされていることが多いので
「すごいな~」と尊敬せずにはいられません。
でも、最近は少し違う空気感があるようですね。
「意識が高いことが格好いい」というようなファッション的な雰囲気もあって
言葉のイメージにギャップが生じているので
「意識が高い」という言葉はあまり使わないようになりました。
また、「意識が高い」という言葉を使わないようになった理由はもう1つありまして
数年前に知人からこんな言葉をかけられたことがあります。
「あなたは『意識が高い』という言葉を使うけれど
『高い』という言葉を使うということは、誰かのことを『低い』と思っている証拠。
あなたは誰かを見下しているのよ。人に高いも低いもないんじゃないの?」
私は相手のことを尊敬する意味はあっても
誰かと比較している認識は全くなかったので
「そこまで裏の裏まで読まなくたっていいじゃない・・・」
と思ったのですが
少し時間が経って落ち着いて考えたとき、確かに
・「高い」は「低い」があることも連想させ、見下しているように聞こえる
・「高い」は「低い何か」と比較や評価をした意味が含まれている
かもしれないと思うに至り
それ以来、「意識が高い」という言葉をあまり使わず
「すばらしいお考えですね」とか
ここにもまだ比較や評価が含まれるなら
「私は○○さんの考えがすばらしいと思いました」のように
自分が感じたことや思ったことを伝えるようにしています。
でも、本当の気持ち的には
尊敬の意味を込めて「意識が高い」という言葉は使うのは悪くないなぁとも思うので
場所を選んで使っていこうかなぁと思っています。