掃除当番に見る文化の違い
昨日、夕食を終えたとき、「今日、おもしろい記事があったぞ」と新聞(新潟日報)を差し出してきました。その記事によれば、
日本に体験留学をした米国の小学生に何が楽しかったかを尋ねたら「掃除当番」という答えが返ってきた。机を動かし、ほうきを使い、みんなで手分けして教室を掃除したのが新鮮だったという。
米国では児童生徒が学校の掃除をすることはまずない、掃除当番をさせらた、親は怒って訴えるかもしれない。
さらに、
米国社会には団結行動があまりない。手分けして助け合ったり、チームワークを学んだりすることはほとんどない。セールスマンが売り上げを伸ばすのは、自分の成績を上げるためで、必ずしも自社製品を多く売りたいわけではない。日本人のような農耕民族は、田植えも稲刈りも村中で力をあわせないとできない。協力と標準化が重要だ。一方、狩猟民族である米国人は、能力のある人が自分のスタイルで全員分の獲物をしとめたら力をあわせる必要もない。ヒーローが村中を養える構造になっているのだ。
そして、最後は、現在の経済危機を救うのはどちらのほうだろうか?と締めくくっています。
日本人は元々、社会的な仲間意識があって、努力家なのではないかな?と思います。掃除当番に限らず「みんなでやる」という社会的な価値観がどこかしらにあるはず。
一方、ここ十数年大切だと言われてきたのは、成果であり、競争であり、個人の能力であり、「ああすれば、こうなる」という結果重視ではなかったかと思います。そして、ずいぶんとギスギスとした関係になっているように思います。
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二一世紀の日本が、あの日本に特有の社会的な調和、「和」を発展させていくことを願う。
とおっしゃっていますが、お金やモノという価値観がちょっとしたことで崩壊してしまうことを知った今だからこそ、日本の「和」という、いい価値観を伸ばしていくことで、今後良くなっていくことを信じています。
・・・と、ずいぶんと大きなことを言ってしまいました(恥)。
「和」を伸ばしていくために、自分が今、できることは何だろう?意外と、目の前に落ちているごみを拾うような、掃除当番的なことなのかもしれません。
話は少しずれてしまうのですが…
今日、我が家では稲刈りがあります。コンバインでビューンと刈り取りすればおしまいです(笑)。稲刈りですら、村中で力を合わせることもなくなりましたが、その分、地域の行事などには積極的に協力しようかなと思っています。
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