【書評】文才がなくても書ける小説講座
献本いただきました本の書評をさせていただきます。ITmediaさん、ソフトバンククリエイティブさん、いつもありがとうございます。
今回読んだ本は
文才がなくても書ける小説講座 (ソフトバンク新書)
小説を書いてみたい…そんな思いで、この本を読みました。
実は、これまでも小説を書き始めたことがありました。話の始めのイメージはなんとなくある。そして、終わりのイメージもある。けれども、その中身がない。だから、書けない。こんなことが続き、書き始めては挫折することを繰り返していました。
「書くこと」について、私のこれまでの解釈では、
・最初に頭の中に構成の全体像がある
・それを言語化していく
このようなものだと思っていました。ビジネス文章は、特にそうですよね?
そんな私にとって、この本は「書くこと」に対してシンプルながら大きな気づきをくれました。一言でまとめると、
- 書くということは、情報の不足を埋める行為である。不足を埋めれば、また新たな不足が生まれ、それを埋めれば、また不足は増えていく。
- 頭の中にすでにあるものを再現する営みではなく、まだ見ぬものを発見する営み。
これが書くことの仕組みだといいます。
具体的には、こう説明しています。
たとえば、「昨日は友人の正夫と山へ行った。」こう書いたとします。しかし、読み手の立場からすれば、この文には情報の不足が山ほどあります。
・昨日とあるが季節はいつか?
・昨日とは何月の何日で何曜日か?
・友人の正夫とは何者か?
・正夫の歳はいくつか?
・山とはどこの山か?
・山へは何しに行ったのか?
・そもそもこの文の語り手は何者なのか?つまり、一文では伝えられないことが山ほどある。だから文は書き足されていくのです。
これは、非常にシンプルながら、私にとって目からウロコでした。書きたいことが事前に想定されていなくても、書いていくことによって、書きたいことが見えてくる…。
最初の一行さえあれば小説は書ける。もちろん、効果的に伝える表現方法(たとえば、メタファーのような)はあるとしても、書くこと自体に困ることはないと。
私の子供は寝る前に「お話して」と言います。これまでは、桃太郎などの物語を話すぐらいしかできませんでしたが、この本で知った物語を作る仕組みを頼りに、最初にパッと思い浮かんだ映像やキーワードから、その情報を埋めるように即興で物語を作って聞かせるようにしてみています。どんな展開になっていくのかは決まっていないのですが、話を埋めていく間に「次はこれ、次はこれ」と、即興でも意外と話はつながっていきます。子供にも「次はどうなると思う?」と聞いたりして、一緒に物語を作っていくのはおもしろいと、なかなか評判です。
それならばと思い、キーボードに向かって小説を書いてみましたが、理屈はわかったとしても、思う通りに書き進めていくまでには至っていません(苦笑)。けれども、小説は、その刹那刹那で作り上げていけばよいということが分かっただけでも、大きな発見でした。
この本には、書く仕組み以外にも、過去の著名な作品を引用しながら効果的な表現方法にも触れられており、参考になりました。今後、ブログの表現などにも生かしたいと思っています。
最後に、小説を書くために必要なこととして、もっとも今の私にふさわしい言葉を引用して、書評を終わります。
0と1の間には、宇宙間ワープほどの距離がある。そんなことを思いついたのは、数年前のことだ。
0とは、何もないということ。何も動かない。何もしない。1とは、何かするということ。ほんの少しの動きでもいい。ただ、それは10にも100にも繋がっていく。0と1の間は大きいが、1と2、1と100の差はさほど大きくはない。1以降は、同じグループに属するのだ。私は数学者ではないので、別に哲学的な話もない。ただ、やる、か、やらない、かは、まったく違う次元に生きることであると気がついただけだ。
「小説新潮」 2007年12月号
ということで、手を動かしたいと思いますが、なかなか…(苦笑)。もちろん、これは本の問題ではなく、私の問題であることは言うまでもありません。