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『失敗の本質』が指摘した技術問題

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日本軍の敗北を組織論の観点から分析した『失敗の本質』(1984年)がいまだに読み継がれているのは、敗戦から75年を経た現在でも本書が指摘する日本の組織問題が過去のものとなっていないからだろう。

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共通の目的やグランドデザインが欠如しているとか、過去の成功パターンに過剰適応してものの見方を変えることができず環境変化に適応できないといった問題は、いまも多くの組織に当てはまりそうだ。さすがに情報の軽視や情報通信システムの不備はかなり改善されているだろうが、だからと言って情報共有が難しい縦割の組織構造が改革されたかと言えば、いまだ十分とは言えない感じがする。統合的な方針がないために現場の真面目な頑張りが全体のパワーに結びつかないといった問題や、情緒や空気に左右されがちな組織風土などは、いまなお残る日本の課題と言えるだろう。

さらに注目したいのは、こうした組織上の問題だけでなく、技術に関する問題である。本書には次のような指摘がある。

日本軍は、戦艦大和や武蔵に見られるような大艦巨砲主義から発想を転換することができなかった。しかも、ある技術は優れているが、他の技術は非常に遅れているという技術体系のアンバランスという大きな問題を抱えていた。そのため大和や武蔵は、遠距離砲撃に必要なレーダーの低性能が原因となって、持てる力を発揮せずに沈没したのだった。

勝利を収めるためには兵器の大量生産が求められるので、米国の生産技術体系は標準化が基本となっていた。それに対し、日本は標準化を無視したわけではないものの、米国と比べると一品生産的で多種多様な潜水艦がつくられた。また、日本軍の技術体系ではハードウェアよりもソフトウェアの開発が弱かった。

これらの問題がそっくりそのまま戦後日本の企業や行政の情報システムにも当てはまるように思えるのは私だけだろうか。ユニシスやIBMがいち早く商用化し、それを追いかけて富士通、日立製作所、NECが開発に力を入れたメインフレーム(と呼ばれた汎用コンピュータ)は、米国よりもむしろ日本で広く浸透したと言われている。197080年代のメインフレーム全盛期には、ユーザーの業務に合わせてカスタマイズを極めた一品生産的なシステムが数多く構築された。とくに、メガバンクのオンラインシステムに代表されるような、4~5年もの歳月をかけて非常に大規模で複雑なプログラムの開発が日本の特徴ともなった。そして、それを可能にする能力こそ日本のソフトウェア技術力の高さを示すものとみなされたのである。

大艦巨砲主義的なメインフレーム文化に過剰適応した日本の組織は、1990年代のオープンシステムやインターネット、2000年代のクラウドコンピューティングという技術環境の大きな変化への適応力を欠いていた。むろん大鑑巨砲であること自体が悪いのではない。それはいつの時代でも強力な手段の一つであって、当時の日本ではメインフレーム利用の合理性があった。問題なのは、環境が変化したのに、それしか解決策がないと思い込み、発想を変えられない大艦巨砲「主義」なのである。

コロナ禍で「デジタル敗戦」という言葉を聞くことが増えてきた。『失敗の本質』から学べることは、個別の現場の頑張りに頼るだけではなく、あらためて共通の目的とグランドデザイン、すなわち「誰のため、何のため、どのようにデジタル化を進めるのか」を根本から問い直すことだろう。そして、新しい技術が持つポテンシャルを引き出すには、組織面でも新しい考え方が求められることを忘れてはならないだろう。新しい酒は新しい革袋に盛れ

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