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あまりに美しくて怖い『クララとお日さま』の世界

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『クララとお日さま』は、これまで読んできたカズオ・イシグロの長編小説のなかでは、平易でとても読みやすかった。あっさり読み終えてしまったので、読了直後は少し物足りなさを覚えたくらいだ。でも、『日の名残り』がそうであったように、印象的なシーンの映像がいつまでも頭に残り、物語に託された著者のメッセージを深く考えさせられることになった。 81WPQkK8zDL.jpg

小説は、子供たちがヒューマノイドロボットのAF(人工の友達)をもつ近未来の社会が舞台となっている。主人公のクララは、病弱な女の子ジョジーのAFだ。クララは、ジョジーの幸せこそ自らの使命と心得て、そのために何をすべきかを考え抜いて行動する。他者のために献身的な振る舞いをするクララに対して、ジョジーやその周りの人びとは、言い争いをしたり、わがままを言ったり、他人を疑ったり恨んだりと欠点だらけだ。

『わたしを離さないで』に登場したクローン人間の主人公たちが欠点や弱さをもつ普通の人として描かれていたのに対し、クララは道徳的で崇高な精神を具現化した欠点の全くない存在として描かれている。クララの思考と行動はこのうえなく美しい。だから、周囲の人たちがクララに暴言を吐いたり乱暴な振る舞いに及んだりすると、読者はたちまち悲しい気持ちにさせられる。

AIロボットは人間が共感を持てる仲間になる。著者はその可能性を示唆しているものの、人間のような魂は持てず、人工的に個人のコピーをつくることもできない、と考えている。ただ、そのメッセージの伝え手が人間ではなくAIロボットのクララであるのが、この小説の面白いところであり、怖いところでもある。

ジョジーの母親は、娘の病死に備えてクララをジョジーのコピーにしようと科学者に依頼する。科学者は、個人に魂は存在しないと考え、ジョジーのあらゆるデータをクララに移せばジョジーが復元できると考えている。一方でクララは、ジョジーの魂はジョジーひとりの中だけにあるのではなく周りの人たちとの関係性の中にある、だから自分がジョジーの代わりになることは不可能なのだと考える。そして、ジョジーの健康回復を最優先してお日さまに特別なお願いをする。

わたしもそうだが、読者は科学者よりもクララに共感を覚えるに違いない。クララは人間社会における高い倫理性の象徴となっている。

それに対し、クララのいる社会は遺伝子編集による「向上処置」を受けていなければ大学の受験資格を与えられないという、テクノロジーが差別を助長する恐ろしい世界だ。それは、テクノロジーで人間の知性や能力をアップデートして人類の一部はいずれ神(ホモ・デウス)になると予測した、ユヴァル・ノア・ハラリが描いた社会と通じるものがある。人類のためにテクノロジーをどう使うべきか。また、その恩恵を人びとに平等に行き渡らせるにはどうしたらいいのか。この小説は重い問いを突き付けている。

ところで、わたしはカズオ・イシグロの小説の魅力のひとつに「記憶」の描写があると考えている。人間の記憶はとても大切なもので、不思議なものでもある。『クララとお日さま』では最後にクララの記憶が語られる。ジョジーの友達という役割を終えたクララは、自らの過去に満足しながら、記憶の断片を重ねつつ回想する。美しくてせつない印象的なシーンだ。

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