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環世界から考える「生命」と「多様性」

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ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが1933年に書いた『生物から見た世界』は、21世紀に入ってから、生物学や環境学だけでなく情報学やAIの研究者の間でも強い関心が持たれている。それは、「環世界」と日本語に訳された概念が今日の社会に多くの示唆を与えるものだからだろう。

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環世界とは、生きている主体が主観的に見ている世界を指している。仮に、人と犬とハエとダニが同じ部屋に居たとしよう。人は書棚の本を注視し、犬は歩き回る空間を探すためテーブルの脚や床ばかり見て、ハエはテーブルのコップに注がれたジュースしか見ていないかもしれない。この三者に見えている世界は全く異なるが、目が見えないダニが知覚する世界はさらに異質のものだろう。生物は自らが生きていくうえで重要な意味を持つものを知覚し、そうして知覚された世界が「環世界」なのである。

ドイツ語で書かれた本書は、最初に日本で紹介されたときは「環境世界」と訳されていたそうだ。だが、日高敏隆氏が新訳書を出すさいに「環世界」へと改めた。その理由について日高氏は、岩波文庫のあとがきで、「環境」とはある主体の周りに(客観的に)存在するものであるが、「環世界」はその主体が意味を与えて(主観的に)構築した世界であるからだと説明している。

わたしはこの本に出合った時、子供の頃のようなわくわくする読書体験を久しぶりに味わったと記憶している。薄い文庫本なのに、魅力的な日本語の文章の間に、ゲオルク・クリサートが描いた絵がたくさん挿まれていて、それらを見ているだけでも楽しく理解を助けてくれる。そして、いささか興奮して読み終えた後には、自然といろいろなテーマに考えをめぐらせるようになった。

たとえば、そもそも生命とは何か、について。ユクスキュルは本書の序文で、あらゆる生物は機械にすぎないという生物機械説を批判したうえで、「生きた主体なしには空間も時間もありえないのである。これによって生物学はカントの学説と決定的な関係を持つことになった」と記している。「意味」とか「価値」とは生命体を前提とした言葉であることをわたしは本書から学んだ。

一方で、今日では、人間の能力に接近したAIの研究開発が目指され、生命と非生命の境界を曖昧にするような合成生物学や分子ロボティクスの研究が進み、人間観や生命観を更新すべきなのかどうかについても議論が行われるようになっている。いまユクスキュルが生きていたら、どんなことを言うだろうか。そんな想像をしてみるのもおもしろい。

そのほかには「多様性」について。環世界はまさに生物多様性を裏付ける重要な概念であるけれども、人間の多様性についても説明できるのではないかと思われる。どれだけ行動を共にする機会が多い親しい関係の人であっても、個々人が主観的に見ている世界が同一ということはありえない。だから人びとは多様であるし、互いの思考や感情を100%理解し合う完全なコミュニケーションはありえないのだと気づかせてくれる。こうして、環世界を出発点として、そこから思考を飛躍させてみることもできる。本当に豊かな概念だと思う。

なお、「環境と環世界」と題した日高敏隆氏の講演要旨がネットで公開されている。ご参考まで。file:///C:/Users/Kaoru%20Sunada/Downloads/hofrep111_j.pdf

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