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『ペスト』:不条理な世界を生きる人びとの共感と連帯

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断捨離で本を処分していたら、20歳ころに読んだはずのカミュの『ペスト』が出てきた。1974年刊の10刷で、紙は薄茶に変色してしまい、文字はとても小さい。古い文庫本の物理的な読みづらさに加えて、日本語の訳文も難しく、すらすらと読み進むことはできない。それでも今夏、夜寝る前に、時にはページを戻りつつ、ゆっくり再読した。新型コロナ・パンデミックになってから『ペスト』がよく読まれているというが、わたしも今読んで本当に良かったと思うひとりだ。

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若いころ、カミュといえば『異邦人』がわたしにとっての代表作で、不条理とか反抗の作家というイメージを強く持っていた。『ペスト』も、死に至る感染症の蔓延で町全体が封鎖されてしまう不条理な世界で人びとの行動や心理を描いた小説である。

ペストという自然の災害は人びとに公平に降りかかるが、貧しい家庭はきわめて苦しい事情に陥るのに裕福な家庭は全く不自由なく暮らしているとか、ペストにも効用があると考える人がいる、精神的に落ち込んでいた犯罪者がペストの流行で元気を取り戻したなど、現代にも通じそうな状況が描かれている。さらに、封鎖された町からの脱出を手助けする闇取引が行われたり、公共の場所はほぼ全て病院か検疫所に改造され感染者はフットボール会場のテントにも隔離されたり、死者の急増で棺桶が不足し消毒後に別の死者に使いまわされたりと、今のコロナ禍では考えられないような悲惨でやりきれない状況の描写もある。

しかし、再読で強く印象に残ったのは、そうした不条理で矛盾に満ちた世界ではなく、そのような環境下でも、人間の誠実さや連帯、愛情、共感の力を信じようとする人びとの姿だった。

主人公の医師リウは、「ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです」と語り、誠実さとは何かと問われ、「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」と答える。おそらく現代でも多くの医療関係者はそう考えているに違いない。

また、リウは、パンデミック下で出会い、かけがえのない友人となったタルと心を開いた会話を続ける。タルは「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っている」と考え、自分の中にある病毒を他の人に吹きかけないように気をゆるめないことが大切だと暗喩で表現する。そして、「あらゆる場合に犠牲者の側に立つ」と決めたのは、それが「心の平和に到達できる道」をさがすことにつながるからだと話す。リウが、心の平和に到達するためにとるべき道について尋ねると、タルは「共感ということだ」と答える。

職業も個性も異なる登場人物たちが、内省しつつ互いに協力し連帯してペストに立ち向かおうとする姿はとても感動的だった。

この1年で500冊を超える本を処分した。この古い文庫本『ペスト』を手元に残し再読しようと思ったのは、むろんコロナ禍で再び注目されているという理由もあるが、それに加えて、6月に届いた高校の同窓会報の訃報欄にF君の名前をみつけたことも影響しているかもしれない。同学年で一緒に図書委員として活動していた高校時代、文学青年だったF君はわたしにカミュを勧めてくれた。卒業後は全くと言っていいほど交流がなかったのに、訃報を知ったときはなんだかとてもさみしかった。

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