ユーザーエクスペリエンス(UX)よりもヒューマンエクスペリエンス(HX)を考えよう ――オードリー・タン
インターネットコミュニティでオードリー・タンの活躍を以前から知っていた人は日本でも少なくないのだろう。だがコロナ禍の今年、マスクマップアプリで一躍有名になってからオードリー・ファンになった人も多いはずで、かくいうわたしもそのひとりだ。
アイリス・チュウ/鄭仲嵐共著『Auオードリー・タン―天才IT相 7つの顔』(文芸春秋・2020年)は、そんな日本の読者に向けて、生い立ちからデジタル大臣としての今日の活動にいたるまで、台湾の政治社会的背景とともに伝えてくれるタイムリーな出版である。
本を読み終えて最初に浮かんだのは、これほどまでにラディカルな人が他にいるだろうか、という素朴な疑問だった。
わたしがラディカルと感じたのは、タンが「保守的な無政府主義者」であることを自認しているからではなく、ひまわり学生運動で主要な役割を果たしたからでも、政府に徹底した透明性を求めるハクティビストだからでもない。むろん、中卒の学歴で台湾のデジタル大臣に35歳で就任したからでも、トランスジェンダーを公表したからでもない。そうした活動の原動力となっているもの、すなわち徹底して考え抜き、その根源的な思考のエッセンスを詩や人間味あふれる言葉で表現し、さらに自らの行動へ結びつける、という一貫した姿勢にある。
だから、人生で選択を迫られたときに、社会常識とは異なっていても躊躇せずに自分の思う道を歩んでこられたのだろう。また、両親とりわけ母親がその決断を常に温かく支えてきたという事実が本書で明らかにされている。しかし、タンは自分が人と違う道を選んだと考えているのではなく、「誰でも、最後に行く道は与えられたコースではなく、自分の命の赴く方向なのです。(中略)誰もが他の人とは違います。みんな同じというのはある種の幻想です。私はその幻想から早く目覚めたというだけです」と語っている(本書200~201頁)。
人間・社会・テクノロジーにかんするタンの考えや意見は、今年7月に公開された、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリとの対談記事によく表れている。本書はそれを補う内容と言えるだろう。
タンは「テクノロジーは信じる価値に向かって進む人々を完璧に迅速にサポートするものである」と言う(同193頁)。中国では政府が国民に透明性を求め、台湾では国民が政府に透明性を求める。信じる価値が違えば、同じ監視技術であっても全く異なる使われ方をする。ハラリが研究者らしく、企業や政府が自分以上に自分のことを知るようになる世界、価値観が知らないうちにコントロールされていく世界への懸念を表明したのに対し、タンはハクティビストらしく、台湾では市民が政府や多国籍企業に過激なまでの透明性を求め、それを実現する仕組みが構築されていると語っていた。そして、本書でも未来を創造するにはいま活動に参加することが大切だと強調している。
未来に出現するものは、現在すでに水面下での小さな動きとして存在する。それがだんだん大きく広がっていき、いつの日か誰の目にも見えるほどに広がり、やがて新しい時代の常識となる。そうであるならば、テクノロジーは人のためにあるのだから、多様な人びとをサポートし自由と民主主義を発展させるために、テクノロジーを効果的に使っていく小さな活動をいま始めよう、そしてその活動に参加しようというわけだ。タンは「人工知能は永遠に人間の知恵に取って代わることはない」と考えているが、これもこのようなテクノロジー観と結びついているようにわたしには感じられる。
テクノロジーへのさまざまな言及のなかでも、わたしは「ユーザーエクスペリエンス(UX)よりもヒューマンエクスペリエンス(HX)を考えよう」というメッセージが好きだ。タンはハラリに、UXではなくHXを使う理由について、「ユーザー」だとその技術を使っている時間だけが重要と考えてしまうが、「ヒューマン」にすれば自分だけの視点にとらわれずより広い視野からものを見ることができるようになるという主旨の説明をしている。
UXの重要性は言うまでもない。だが、人は技術の利用者としてだけ生きているわけではない。人びとに恩恵をもたらすテクノロジーのあり方と同時に、人びとの多様性と協力関係が社会にもたらす恩恵についてもわたしたちは考えたい。このメッセージからはそんなタンの思いが伝わってくるような気がする。それに、ヒューマンエクスペリエンスは、人によっていろいろな意味を込められる表現である点もいい。
本書は、テクノロジーと人・政治・市民社会について考えている読者に、さまざまな角度から考えをめぐらせ、思いもしない方向へと考えが広がっていく楽しさをもたらしてくれるだろう。