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プライバシー権とは無関係の個人情報「過剰」保護

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すでに加山恵美さんが書かれているが、わたしも個人情報の過剰保護によって国民の6割が「暮らしにくい」と感じているという読売新聞の調査に注目した。
12月27日付の同紙記事によれば、役所、警察、学校などで個人情報の出し渋りが起こり、「災害時に助けが必要な一人暮らしのお年寄りの情報が地域の民生委員に知らされない」「学校が児童・生徒の緊急連絡網を廃止した」といった安全面の問題や、「役所が懲戒処分の職員の氏名や退職者の天下り先を公表しなくなった」という社会的な不公正に対して懸念を抱く人が多かったという。
まったく同感だ。

今年4月に個人情報保護法が本格施行されて以来、社会生活だけでなく経済活動においても、人びとを困惑させたり萎縮させたりするような過剰反応を見聞きすることが増えている。
その結果、大木豊成さんが指摘されているとおり、最近ではむしろ個人情報の過保護の方が懸念されるようになった感がある。

個人情報の保護はほんらい、他人には触れられたくない私的領域つまりプライバシーを守るために不可欠な手段であるはずなのだが、それが金科玉条の目的に化していないだろうか。それだけではなく、もしかしたら、わたしたちは(個人)情報の保護にばかり神経を使いすぎて、肝腎のプライバシーやそれにかかわる人権への配慮を欠くような行為を繰り返していないだろうか。

こんなことを考えるようになったのは、「プライバシー保護と個人情報保護はまったく異なる概念である」と指摘する国際大学GLOCOMの青柳武彦教授の議論に触発されたからだ。青柳さんは「情報社会ではプライバシーを厳重に守ったうえで個人情報を自由活発に流通させるべきである」と主張し、現行法については「個人情報過保護法」であると断じている。
個人情報の活用や流通についてはわたしのほうがもう少し慎重な立場だが、プライバシーと個人情報を明確に区別して、現在起こっている個人情報保護の行きすぎを改めるべきだという意見には基本的に賛成だ。また、プライバシー権の定義が「そっとしておいてもらう権利」から「自己情報をコントロールする権利」に近年変わってきたが、それに対する批判もとても面白い。(詳細は「住基ネット研究フォーラム」サイトに掲載されている青柳武彦「個人情報保護に行きすぎ」lを参照)

ネットというサイバー空間における個人攻撃や誹謗・中傷、職場や地域社会というリアル空間におけるハラスメントなど、プライバシーにかかわる深刻な人権問題はいまも続いている。
この1年、顧客情報の大量紛失を理由に、日本企業の経営幹部がテレビカメラの前でそろって深ぶかと頭を下げる映像をわたしたちは何度も繰り返し見てきた。企業のずさんな個人情報管理を擁護する気はまったくないが、しかし、ほんとうに深く頭を下げなければならない事態はどこか別のところにあるような気がしてならない。
                                                                                                                     

Comment(4)

コメント

こんにちは。前に国勢調査での投稿もあり、この話題は砂田さんが書いてくれるだろうなと思っておりました。プライバシーと社会が共有すべき情報、世論が変わればバランスも多少変化するのでしょうけど、実務に支障がない範囲で適正さを保たなくてはならないのでしょうね。考えるべきことはまだ多いなと思いました。

引き合いにだしていただいたこともありTBさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

Fox

マネーロンダリングしたカネと月末に振り込まれた給与は、同じ紙幣であっても意味が違うのと
同じように「個人情報」の意味合いを勝手に解釈している事に問題があるのであって
個人が個人情報「過剰」保護を意識するのは、もはやナンセンスですね。
何故なら、前述したように意味合いを勝手に解釈する人間が後を絶たないからです。

そもそも個人が個人情報を「過剰」保護して不利益になると言う根拠は無いですし逆に
個人情報に「無関心」「適当」ならそれなりの結果しか生まないのは当然の事でしょうね。

PCでセキュリティーソフトを山ほど入れていても、携帯でネットショッピングしているようじゃ
論外なのは言うまでもなく、その意味が理解できていない人側(単なるお客さん)にも
当然原因はあります。

要するに「個人情報漏洩=怖い」と言う程度の認識しかない人が非常に多いと言うことです。
簡単に言えば、怖いとはいったい無いが怖いのか?その本当の意味を知ることが大事だと言うことで
個々の素養や資質の問題ですが、ある意味それに欠ける人の御陰で業界が成り立っているのが現状。
小中学生にそれを理解せよと言うのも些か無理気味。

従って、メディアで被害に遭ったと報道されている人達はその典型と言えるでしょうしその結果こそが
所謂自己責任という事(意味)ですが、日本じゃその事についてメーカーに責任は問えませんね。
よって今後も被害が減少する事は無いと言う事です(爆

例えば車などが良い例で、5歳児にでも「D」に入れておけば発進させる事はできますが
現実には、如何にブレーキを適切に使えるかどうかで免許が交付されるワケです。

よって「過剰」保護であるかないかの議論は、それらを理解した後の話でしょうね。
もっと簡潔に言えば、過剰保護論を鵜呑みにした結果の責任など誰も取ってくれないと言う事です。

私から言わせて貰えば、現時点での「個人情報過剰論」は単なる「机上の空論」ですね(笑

masaki

大学で個人情報保護について研究しています。
砂田さんの意見は大変面白いと思います。

現在の過保護論は「規制による不自由さ」が焦点です。
特に、情報収集目的で活動をされている方々が過保護論に賛同しているのはその為です。
しかし、規制による不自由さを解除した場合に誰かの権利利益が損なわれるような事があってはならないのです。

個人情報保護による不自由さは手間と時間を掛けるべき事をいままでやっていなかったという事実に過ぎません。

例えば、「学校が児童・生徒の緊急連絡網を廃止した」件です。
学校側が保護者に緊急連絡網の必要性を説き理解させなくてはなら無くなったわけです。
しかし、学校そのものの情報保護対策が杜撰であるのは周知の事実なので、説得のしようがありません。
ここで、学校の情報保護対策が整備されれば良いのですが、その資金も時間も無いのが現状です。
この一件だけで明らかなように、個人情報保護法が過剰なのではなく、その周囲の対応が遅れているのです。

ですから、個人情報保護法の緩和よりも、個人情報保護法に対応するための補助制度が行政に求められるべきだと思います。
その上で、やむを得ず緩和が必要なものだけをふるいに掛けていくべきですから、現行法が行き過ぎであるとするのは危険です。

どうも。ネットにおけるプライバシーについてブログを書いている司空りんごといいます。

個人情報の保護過剰・・・

最近こういった反応を見せる世論もあるようです。

確かに、連絡網がなくなったり、病院が問い合わせに答えないといったのは今までの感覚から言うと、ちょっと不自然な感じはします。こういう現象をなくしたいというのは、誰もが感じることではないかと思います。私もそうです。


ただ、問題は今のように、インターネットで誰が個人情報をインターネット上に投稿したりするか分からず、誰がどのように悪用するか分からないということ、そして一度ネット上に流れてしまった情報は収集がつかないというこの点にあるのだと思います。


個人情報が安易に流れない仕組み、流れても回収できる仕組みを作ることが、「自然」な状態、連絡網や病院の問い合わせを復活するために必要であると思います。この問題は、インターネット社会を根本的に考える問題で、一朝一夕に解決できる問題ではありません。じっくり腰を落ち着けて、技術的・法的・社会的な側面から取り組むことが必要だと思います。

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