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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

懐かしい曲から思い出す、多分もう二度と会えない人の事

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ネット上で目の前を流れるいろんな話の中に、Jamiroqai の Virtual Insanity が懐かしい!という話が流れてきました。もちろんこの曲だけでなくいろんな話題の一つとしていろんな楽曲の話は流れてきますし、その中で時々「あー」と何か思う曲やアーティストの話があったりしますが、この曲はまさにその中の一曲で、気持ちがちょっと反応してしまいました。
実はこの曲を聴くと思い出す知人がいるんです。

出会いがあれば別れもあるし、なんとなく連絡が取れなくなってしまうのもよくある話

仕事上の関わりとしてある時期に本当にお世話になった方だったのですが、最後にその方の顔を見たのは今から20年ちかく前にまさか此処で?という場所で本当に偶然に。そして実はその時点で既に5年ぶり位だったはず。いろんな経緯と場の状況もあって「やぁ」とかしか声をかわさなかったのですが、元々勤務先のメールと業務端末の電話番号しか知らなかったその方とは今はもう連絡方法どころか消息自体もわかりません。

当時Jamiroqai が本当に好きと言ってたその知人、今となっては何処かで元気でいるのだろうかと思う以外に何もできません。ひょっとしたら何かしら共通の知人を辿って無理に掘り起こす事は不可能じゃないとは思うのですが、単なる自分の思い出の上塗りをしたいだけの話なので気持ちの奥にもう一度しまい込むのが一番だろうなと思っています。できることは唯一、この曲を聴いたときにその知人の事を思い出せる自分の記憶力の程度を確認することくらいでしょうか。

因みに逆の立場で「1980年くらいまでの山下達郎さんの曲を聴くとお前のことを思い出すことがある」と数人の高校の同級生から言われたのは卒業後35年くらい経って初めて出席した同窓会の時。確かに当時放送部だった私が多分通っていた高校の歴史上はじめて達郎さんの曲を昼休みの時間に定期的に流してたんですが、そういう記憶のされ方もあるんだと思ったのは実話です。これはさすがにびっくりしました。

まぁそういう知人がこれから増えることはあっても減ることがないであろうお年頃

因みにこの曲だけでなく、いくつか特定の曲や特定の場所、あるいは何らかの状況のなかで思い出す方はいますが、そのほとんどの方は既に消息すら分かりません。
でも、年齢的に今後はそういう人が増えるばかりということは解っています。あきらめとかじゃなくて、これはもう仕方ない。

例えば以前は「この飲み屋に定期的に顔を出さなくなったら死んだと思ってくれ」と言っていた人も何人も知っていて、でもって実際にその時が来たのをいろんなルートで知ってその方を思い出して乾杯するということを何度かしたことがあります。仕方ないことなのですが、やっぱり寂しいものではあります。ただ私の知り合いだったそういった皆さんは年齢的にはいわゆる団塊の世代以上の方がほとんどで、やっぱりそれなりに生活に余裕があった方であったのだろうなという気がしています。

それに対して経済環境や個人的な経済状況も社会の中での自分の立場立ち位置からも、もう流石に行きつけとして維持するのも難しいのは正直な話。一応顔が通る店というのはジャンルを問わず数軒は残っていますが、顔を出す間隔は伸びる一方です。

そうなるとFacebookなのか何なのか、とりあえずネット上で声を出さなくなったら家を燃やさない程度に線香でもあげてくれという程度の話しかできないなというのが現実的なところだろうなとは理解しています。

とはいえ、あの知人は元気でいるのだろうか... 以前に自分はどうよ

訳のわからないことを切っ掛けに勝手に昔話を時々思い出してるなんてそれこそ勝手にしろという話ですよね... と言ってしまうと身も蓋もない話になりますが、因みに私自身の今は幸か不幸か生来のアホが治らないのと年齢なりに記憶力は鈍るし体力自体も落ちてきていて疲れやすくなってきたと言った「普通に起きる身体の経年劣化」以外には身体機能的にはどこにも問題ないのがつまんないんです。
そもそも、あまり長生きしてても昔も今もロクなこと無いのに人生100年なんて何の罰ゲームなんですかとか真剣に思ってるんですけれどね。

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