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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

もうあなたの知ってるTwitterは戻ってきませんよ

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イーロンマスクがTwitterを買収して形をガタガタに変えて、ドナルドトランプが追放されたからと政治的に同じ方向を向いた周囲の関係者がParlerを立ち上げ、中国は他国と全然関係なく国内向けのSNSを鎖国状態で運用し、そんな中でMetaがthreadsをローンチさせ、入口がInstagramだってことでユーザーが大増殖してる今日この頃。

threadsは明確に比較対象となるTwitterと較べて機能がどうのとか、Twitterから流入してきたユーザーの立ち居振る舞いってどうよとか、あるいはInstagramとつながりが深く見えるのをふまえてどういうスタンスで接してよいのか迷っているとか、Twitterで市場調査的なことをやってる関係各位はどうするんでしょうねとか、TwitterはMetaを訴えるのかとかとりあえず過去のSNSの栄枯盛衰の流れの中での新しいサービスのローンチとは違う風景がそこにあるような気がしています。
因みに私自身threadsをどう使うかさっぱりアイデアが固まっていません。そもそもTwitterを「もうここはどうしようもないよね」と殆ど見切ってしまって必要が無い限り出入りしなくなってから何年も経つので、その代替サービス的な位置づけを自分の中で作れないのですが、まぁそれはあくまで私自身の事情。

そんな中、とりあえず機能的な話でいうと例えばTwitterは当初は日本語入力自体が怪しかったし、「公式RT」が無くてRTするために140文字制限の幾何かを消費しなくてはいけないという制限自体が混乱の元だったし、という事を踏まえてthreadsはどうなるんだろうねとかごく初期のTwitterの状況を元に話を始めるのは老害の最たるものではありますが...

社会的なTwitterへの依存と混乱

たとえば2011年の東日本大震災の際の経験から、米国籍企業が運用するSNSサービスであるにも関わらずそれ以降Twitterが情報のライフラインというイメージで使われてきた側面があります。個人はもとより、メディア各社しかり自治体や政府関係しかり。
気が付いたら電気ガス水道通信といった社会インフラの一つのようなポジションになってしまい、またそこでどの程度話が流れているかが一種の世論調査のエビデンス的な扱いになったり、果ては日本や米国も含め国政選挙や首長選挙に影響を与えるほどのポジションになっているわけですが、じゃぁTwitterはメディア的な人格を持っているかと言うとそれ自体は本来主体的に何かをするものではなく、あくまでも誰かの何かを伝える媒体でしかないわけです。
もちろん、何をどういう風に流していくかというところで意図を持つのか、その主体性をもってメディアと位置付けるのか理解するのか等々が結果的にイーロンマスクの買収やその後の体制変更につながっているわけですが、ここではそれを深堀はしません。面倒くさいので。

ただし、非常に過大な期待として「Twitterへの信頼」というところをいろんな人が持ってしまっているよねとは思っています。ここはとても重いと思っています。

Twitterが東日本大震災の時に使い続けられた事情についての私の個人的な理解について

あの震災の時、確かにTwitterは使い続けることが出来ました。それは自分の体験としてとても良く覚えています。
ただ、それはTwitterが災害時に強い云々ではなくそもそもサーバがアメリカにあるアメリカの事業会社のサービスだからサーバコンプレックス自体は何も影響は受けなかったことと、KDDIの運用チームが全断した太平洋の基幹光ファイバによるトラヒックを泣きながら衛星に手作業で迂回させ続けてデータ通信を何とか維持したこと(業界の中の人間として後日談読んで本気で泣いたんですよ)がTwitterが生き残った理由であって、Twitterだから云々というのはちょっと違うんですけどね。

因みに電話が使えんという話はありました。当時WILLCOMに勤務していた私自身、その事情状況は裏側の体制含めよく覚えてますけれど、でも商用電力が生きていてNTTのISDNと局舎とPHSの基地局が生きている地域 / 場所であればPHSはつながりましたよ。音声もデータも通信規制は一切掛けませんでしたし。

そして震災時、そしてその後に「Twitterは災害に強い」という印象が生まれたのはまだSNSと相対することに慣れていない各メディアによってそういう話が喧伝されたからであって、別にTwitter自身がそれで売ってた訳では無いわけです。

Twitterが使い続けられたことによる安心感の原点

ただし、私自身はあの日まさにTwitterでいろんな人と話をしながら状況を確認し、電車の運行状況を共有し、いろんな人を励まし、最終的に自分が家に帰り着いたときに多くの人に「お疲れ様でした」と声をかけてもらったのは事実。
直接SMSやメールでやり取りをする人も大勢いましたが、TwitterというSNSでやり取りしていた人も大勢いたのは事実。
そう。それは厳然たる事実です。

ただし別の見方をすると、個別につながるSMSとは違い、そもそもあの時代あの時点でシステム的に構成設計 / 実装 / 運用の何れもが非常に難しいTwitterのような形のSNSは殆ど存在していなかったし、その時点でたまたま自分の知り合いの比較的Coreな皆さんが既にそこにいたという状況もあって便利に使っていたのは事実です。でもあの頃はまだ色々不安定でクジラをしょっちゅう見てたし、Twitterが落ちると一気にFacebookやMixiに避難して、立ちあがるとTwitterに戻るとかいう動きをしてたりしましたけどね。

とは言え、そのサーバがUSにあることは元々知っていましたたし、職務上震災発生直後に東北全県電力喪失を知っていましたし、太平洋岸の光ファイバが全断したらしいという事も比較的早く知っていたのですけれど海外との通信は継続してるのも知っていた(けど裏側の話は前述のとおり涙無くして読めなかった)という事情はあって、だからこそUSにサーバがあるTwitterを頼ったところもあるのは事実です。

そして変わりゆくTwitterと、漂流を始めるTwitter民

いまやニュースになるレベルでTwitterが混乱し、そしてMetaがthreadsを立ち上げた今、今まで過大にTwitterを評価していたいろんなこと、例えば災害に強いとか世の中の状況を広く知る / 広く知らしめる媒体という評価は既に崩れているという事を認識して良いんじゃないかとは思います。そしてTwitter側が過去に何かしら恣意的にTweetの流れを操作していたのかどうかを今更気にしても仕方無いほどに体制が変わってしまっている状況では、各方面そろそろ「あなたがTwitterに持っていた何らかの信頼とは何に立脚するものなのか」という事を自問しても良い気がします。

特に経営主体が代わった事業体が過去と同様の事業を継続するかどうかは新しい経営主体が決定することだというのは他の業種業態では当たり前なのに、なぜか自分が直接使っているサービスや商品に対しては「継続することが前提で接する」という立場を取るのはいかがなものかと。


そして、もうあなたの知ってるTwitterは戻ってきませんよ。

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