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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

「多機能」、「高機能」、あるいは「高性能」といった言い回しの裏側に何があるのかな

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いわゆるハードウェアであれソフトウェアであれ、その多くのモノが「新しく」なる時点で以前より「多機能」になった、以前より「高機能」になった、あるいは以前より「高性能」になったという謳い文句(もちろん実態を伴う事が殆どだと思いますが)と共に世に出てくる事が多いのではないかと思います。

ただし、ここには勿論ですが「多機能」であれば良いのか、「高機能」であれば良いのか、はたまた「高性能」を謳う根拠は何なのかといった話がどこかで起きる事があります。完全にコモディティ化したものの場合、ひたすら安定している事だけを求められるようになったりしますし、極端な場合、基本的な了解事項として今更それを変えられても困る=イノベーションを求められない種類のモノも現実に山ほどあります。

 

コモディティ化というコトの意味

そのなかで、たとえば掃除機みたいに求められる果たすべき役割や機能は完全に確立しているなかでのイノベーションを実現して、後発ながら市場での一定のシェアを勝ち取ったメーカーさんもあったりしますが、実は市場がそれに完全に置き換わるような種類の流れでもない。ゴミの紙パックが無くなればよいかもしれないし、時々勝手に家中を掃除してくれるとそりゃ便利だろうってのは誰でも大体判る。でもユーザー側が一定の能力に価格やら何やら自分の価値観やらを掛け合わせて「それは良いんだろうってのは判るけど、それじゃなくても良いんだよね」という行動を取ることは普通にあるわけです。そもそもそんなもんなわけです。

これが元々技術の進歩が非常に早い分野でありながら、どこかでコモディティ化してしまって作り手や送り手の意志とは別の意志がユーザー側に働くと「そんなてんこ盛りの機能なんて使いきれないよ」という話になるわけで、たとえばケータイはその際たるものでしょうし、ビデオやパソコンの色んな機能もそういう部類に入るのかもしれません。デジカメのシーン選択ボタンの選択肢を完全に理解して使い切るほどカメラと親密な日常生活を送っている人はそれほど多くないと思いますし、自宅の電子レンジのメニューボタンを使い切っている人に会った事が無いし、私の実家の母親は洗濯機は全自動なんてもってのほかで絶対に二槽式じゃないと困ると言い張るし、家の冷蔵庫でサクッと包丁でいい具合に切れる程度に肉を冷凍できるぜと言われてもそもそも冷凍庫は買い込んだ冷凍食品と御飯とパンで一杯ですよ状態な我が家もあるわけです。

あ、ただ、もちろんありとあらゆる機能を駆使してる人は当然いらっしゃるでしょうし、他の人が使わないけれど自分的には重宝している機能が何かについていて嬉しいという感覚を自分が持つこともあります。みんながみんなこうだ!と断言するほど市場をわかっているわけではありませんし、あくまでも自分の観測範囲での話ですが、なんだかそんな気がしています。私としては。

 

「多機能」、「高機能」、そして「高性能」という表現

基本的には相対的な話で、しかも評価軸がその時々によっても変わる話ですから、別にその表現自体を私ごときが四の五の言う話ではありません。とはいえ、何に対してそうなのかってのを時々知りたくなる事があるのは事実だったりはします。とはいえそれを知ったからどうのこうのという話になることも多くは無いので知識欲の割りには行動は腰砕けなのが情け無いのですが。

因みにこれがケータイ系の話になると、そもそもサイズやバッテリーの問題、処理能力の問題、OS自体の選択肢の問題、果ては通信ネットワークの関係があってそれほど極端に差が出るものではなく、他者との差別化を図るかってのがとても難しいわけです。

しかも何かしらの突然のブレイクスルーってのが起き難いのが通信業界の常で、ハードでもソフトでも大体みんな同じような道を同じように歩いて先に進んでるわけです。で、端末の形態によって進化の道が分かれたといわれているのですが、分かれたのには意味があるわけで・・・ と考えると「こっちが多機能だ」「いや、こっちは高機能だ」「でもこっちの方が高性能だ」云々と言うのは、まぁそれはそれでと生暖かく見守る事が増えてしまいました。

一方で、その「多機能」「高機能」あるいは「高性能」って表現の軸はどこにあるのかなとか、送り手は市場をどう定義し、何を想定し、何をイメージし、何を求めてそういう風にメッセージしてるのかなっていうところを考えるのは楽しい行為ではあります。それを勘繰りというか深読みというかは別として。

 

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