LinkedInは自分を表現する場ではあるけれどSNSじゃないという理解
色々な理由と経緯と知り合い関係の諸々があって、先週木曜日にLinkedInとは何ぞやという話をする場に居合わせる事が出来ました。ちょっと前に日本語画面が提供されるようになったタイミングで「LinkedIn上陸だぁ」と言う話でメディアまで含めて盛り上がったのですが、数年前からLinkedInにアカウントを持ち、それなりに使っている私はそれを「なんか違わない?」と少々冷ややかな目で見ていたのは事実。LinkedInが違うって?いや、そうじゃなくてLinkedInってそもそも何なのかという理解の仕方、その受け止め方、そしてメディア各社の対比させる図式についてです。いや、別に私自身がLinkedInに勤めてるわけでもないので、だからどうのこうのという発言は基本的にしていなかったのですけれどね。
LinkedInもそもそもは自分を表現する場であるけれど、一般的に理解されているSNSの世界とは違う立ち位置
元々日本語のメニューが全く提供されておらず、日本人で登録している人はどちらかと言うと外資系企業に勤める人も含め基本的なコミュニケーションを英語で出来る人が中心だったのは事実だと思います。因みにLinkedInにアカウントを取る切っ掛けの多くが転職先を探すというのが動機のひとつであることが多いのは事実だと思います。しかも英語だけの世界ですから所謂外資系企業へのアプローチ、もしくはそこへの転職をサポートする企業への売り込みの場みたいな所はあります。正直これは間違いなくあります。実際、LinkedInに公開されているProfileをスキャンしてビジネスをしている企業や個人がいるもの事実です。
そういうのが基本的な発想でいる人が一定数いるのは事実で、だからこそLinkedInの理解としては「転職活動のための場」という理解がされてもおかしくなくて、それはある側面では正しいとは思います。これは今でも思います。そう考えると、他のSNSの場とは違ってその場で自分が同見られるべきなのか、どう見られたいのかというのを意識するレベルが違うのも事実。もちろん今となってはFacebookやTwitterのアカウントと連動できるようになっていますから、たとえばTwitter上でtweetしている「はらへった」とか「ねむい」とかも流れ込めるのではあるのですが、基本的にそこで表現するべき自分というのは演出するという考えとは別にビジネスの上での自分をそこで表現する必要があるわけです。そうなると余計な発言やら何やらはむしろ邪魔になる。そういう世界は他のサービスでやればよい。そんな切り分けですね。
LinkedInで表現する自分がLinkedIn上で求めるのはビジネスの世界の話、という位置づけをもてるとすると見える使い勝手
転職活動、というのは自分を表現しながら売り込むという一つのビジネスと言えるのかもしれません。因みにそういう言い方をすると、たとえば新卒就活中の学生さんからみると非常に敷居の高い話になります。なにしろProifleでいきなり職歴を入れろと来ますから。もちろんそこには例えば何かの活動に参加した話とかも書けばいいのですが、他の人を見ると○○会社の○○部門でなんたらかんたらというProfileばかりが目立つ。もちろんそんなの関係ないよとその場を利用するのは全然問題ないし、私ごときが四の五の言う話では無いですが、実際にはそんな世界ばかりが目に入るわけです。今でこそ平気な私ですが、色んな理由があってアカウントを取った頃は日本人の登録者自体もそれほど多くなく、それなりに気後れしたのも事実です。
ただ、ここでチョイと目線を変えると面白い事に気が付きます。このあたりの話はたとえば加藤恭子さんがリンクトインは巨大なデータベースだったというエントリーでも書かれていますが(というか、実は私、この場に居合わせたんです(笑))が、LinkedInというサービスにあるのはスキルセットのありかを教えてくれる巨大なDBであり、そこで誰かを探す行為というのは「人を探す」だけではなく「仕事のパートナーを探す」という側面があるという本質論があるんですね。
たとえば雇いたい人を探すというのは本質的には人が欲しいのではなくて目の前のビジネス上の課題を解決するための人が欲しいという根本的な話があります。それがその人の直接雇用という形を取るのか、あるいは必要なスキルセットと仕事をするという部分の繋がり=仕事上のパートナーを探すという形を取るのかというところ。ここが大事な訳です。ただしこれが企業に属している人であれば個人として立ち回るには限界がありますし、その人が所属している企業がいきなり何かしらのサービスなりパートナーシップなりを作って云々と言う形になるのは簡単じゃないのは、それこそ30年近くもサラリーマンやってる私じゃなくても誰でも判る話。
ただし、自分がこういう人です、こういうコトをやってきた人ですというコトをまとめるという行為自体は色んな意味があるんじゃないかと思います。企業に勤める上でそこで自分の職歴みたいなものを晒すこと自体に色々なリスクがあるのは百も承知ですが、これからの世の中、自分がどういう人かというコトを表現できないと見る事が出来なくなる未来があるような気はしています。それは私だけの話かもしれませんが、でもどんなに長く勤めても定年は来るわけで、でも定年が来たからって年金で悠々自適なんてのは無いわけで、もちろん仮にそうであっても何もしないで暇を持て余して死にそうになるのは死ぬほど嫌な貧乏性なわけで・・・ あくまでも私個人の話ではありますが。
上辺や掛け声ではないパーソナルブランディングというものと、そもそもSNSはないんだよという理解
例えば別に世の中の色んなSNS上で実名匿名を問わず色んな自分を演じることは可能です。もちろん知り合いがそこに居れば演出されたものは直ぐにバレる訳ですが、でもそれらを通じて何かしら自分を作り上げる事は出来ます。
でも、自分が何をやってきた人なのか、というところをキチンとリストにすると、どうしても取り繕えない部分があるのは事実です。しかもその履歴に第三者のReviewが入るようなシステムであれば尚の事。そういう立ち位置であれば別に毎日LOGINして誰かに声を描けたりする必要もない。層考えると・・・ 既にLinkedInっていうのはSNSじゃないんですよね。
因みにこの話、前述のLinkedInの勉強会でのディスカッションの中でふと思って私が発言した「そもそもLinkedInってSNSじゃないですよね」という言葉をディスカッション中、更にはその後にずっと頭の中でリマインドしているうちにキレイに腑に落ちたんです。もちろんそれ以前からそういう方向では理解していたんですけれど、口に出して表現し、それも含めて何人もの方とディスカッションするなかで確立した考え。
別にだからと言ってLinkedInを擁護するとかそんな話じゃないですけれど、使える場ということではずっとそこにあってほしい類のサービス
正直TwitterやFacebook、Google+などの上で本当に仕事の話が出来るとは思っていません。もちろんこれはそれぞれ意見や立場立ち位置がありすから一概に駄目だという話ではなく、あくまでも私自身の志向と環境の問題。ただ、私の場合には駄目です。もちろん何かしら仕事に絡んだ話がそこで展開されるケースがゼロではないのですが、どんなにセキュリティがしっかりしていていも基本的には公衆の面前ですから出来ることと出来ない事があるし、するべきでないと自分が判断するケースも一杯あります。
それに対して自分が仕事をするパートナーの状況を事前に調べたり、あるいは自分の事を「真面目に」知ってもらうための場として使えるというのは非常に貴重なのかもしれません。もちろん今後10年先までそうなのかとかってのは良くわかりません。でも、少なくとも今はそういう風に使えるわけで、それが出来る場は他に無いとすれば、やはりLinkedInはSNSではない、という結論と理解が出来ると思うんです。
しかしながら、こういう場を使う事自体、たとえば企業の人事部門のみならず諸々面倒くさい事が起きるリスクもあるのも事実。このアタリは雇用環境や商習慣などが深く絡むので難しいのですが・・・ 曰く「お前LinkedInに登録してるみたいだけれど転職活動してるんだろ」と言われると面倒臭いことになるとか、どこまで書いても良いのか誰も教えてくれないぞとか、書いたら書いたで一杯リスクが有りそうなんだけれどそれはどう理解すればよいのかとか、なんとかかんとか。でも、定年延長うんたらかんたらという話があるってのは逆に雇用や年金制度がグダグダだからなわけで、そんななかでキチンと自分がどういう人なのかを表現する場ってのは大事にしないといけないよねと思うんです。
少なくとも外資系と日本の企業数社を渡り歩いてきたつたない私の経験をもってしても、です。