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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

災害時に日本のロボットが何故使えないか論に見る、実用を許さない環境の存在

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まず最初に私自身は災害時対応などのいわゆる「専門家」ではありません。ただ、今までのつたない経験からではありますが、単純に物事に備えているだけではいざと言うときに何も機能しないことを知っています。その条件の上での以下の議論。

「実用の場が最悪の状態である場合、その想定することが何故許されないのか」という話。

 

普段から運用していない「仕組み」を普段ではない状態で運用できると考える事は無知が成せる無謀

それが人命に関わるようなことかどうかは別にして、普段の生活なり仕事の場なりで誰しも何かしらの状況で普通には考えられないほどの酷い状況に陥った経験の一つや二つくらいはあると思います。もちろんそれ以前に何をその事象に対して想定していたかという根本的な話はありますが、いずれにせよ「なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ」と大声で叫びたくなるような酷い状況ってのに、何かしら見舞われた経験はあると思います。

そこから何を学べるか?

単純に忘れてしまいたい・・・ と思うようなことは当然あると思います。でもそこで一度でも「何故そんな状況に陥るハメになったのか」というコトを少なからず考える事ってのはあると思うんですね。で、そこで誰が悪いとかアソコで自分がマヌケだったとか色々と恨みや反省が渦巻くわけですが、冷静に考えると物事には大抵その状態に行き着くまでの経緯や前兆があるはずです。残念ながら全く不可知である第三者に起因するモノであれば如何ともしがたい部分があったりしますが、何かしら自分が直接関与しえる部分がある種類のモノであれば、キチンと分析すると必ずそこに行き着く経緯があるはずです。

それを思い出せるか?

そうするとそれが経験値になるわけです。次にはこうしなくちゃいけないとか、こういう風になったら逃げろとか、まぁ色々とあるわけです。ただ、残念ながら一人の個人の体験なんてたかが知れています。ということで、いろんな人の、いろんな団体の、いろんな組織の経験から学ぶ事が大事なわけで、それを自分自身や自分の所属する組織の役割などに置き換えて考える事が出来るかどうかがとても大事だと思っています。

 

もちろん自分が全ての体験を出来るわけはないからこそ他の事例を見る必要があるわけですが

自分自身が何も体験が無い事象を理解しようとするには多大な想像力が必要となるのですが、何かしら下敷きになるモノが無い限り机上の空論となるのは致し方ない事。もちろん誰かと全く同じ状況で同じ体験をするというのが難しいとした場合、幾つかの例を繋ぎ合わせて状況を想定する作業を上手く実行しないと実体感の薄い話になるのも致し方ない。でもそれ以外に方法は無いので、前例に学び、それを応用する事が大事な訳です。いや、そんなの当たり前ですが。

でも、そういう仮定を元に何かを考える事自体が排除されると、これは別の問題が起きるわけです。もちろんこれには個人的な話もあれば企業としての話、あるいは国家レベルの話など色んな種類のモノがあるわけですが、私としては何かしら物事を考える立場にあるのであれば常に、しかも可能な限り最高の状況から最悪の状況までを常に想定出来ないとすれば、その事自体が「最悪の状況」であると思っています。

程度問題ですが、自分の目の前で起きる事に対して(最低でも自分の責任範囲においての)最悪のケースというのを常に意識して、それが発生するあらゆる条件を考え、そこに至る予兆を考え、それに対して予防線を張るという作業が必ず必要になると想っています。ただ大抵の場合、おきたい事態に対して対処する場に於いては、求めれば必要なリソースが手に入るような意味不明の想定をしているケースが多いような気がしています。

 

それを日本で開発されて投入されたロボットの類があまり機能できなかったという話に当て嵌めてみると

日本のロボット技術というのは世界的に見て相対的に決して低くないと私は思っています。で、実際におそらくそれは正しいと思うのですが、ここで1つ気をつけないといけないのが「世界的に競争力を持ってるロボットというのはどういう種類のモノを指しているのか」というところ。たとえば工場で稼動する自動生産ラインのロボットとかは非常にわかり易い例だと思うんですね。確かに日本の企業として世界的に圧倒的な評価を得ているところはあります。

ただし、それは災害時に要求される機能を持ったものとは違う訳です。

じゃぁ作れば良いんでしょ?ということで色々なところで開発を進めてるのは時々報道でも目にしますし、色んな形で情報に触れることは出来るのですが、今回の災害で多くの人が知る事になったのが「実は実用化され、量産されて各所で活用されているモノは無い」という冷酷な事実です。実際の話で言うと、いくつかの「国産ロボット」が3.11の災害後の救援現場で活躍した例はあります。ただ現実には、海外から持ち込まれたロボットと比較して高い能力を発揮した日本製のロボットがあったという話はあまり聞きません。これは私の観測範囲の問題かもしれませんが、でも実際とのころ例えば量産まで持ち込めた災害救助支援ロボットってあまり聞きません。

じゃぁ逆に海外の同種のモノはどうなのかって?

 

実は明確に存在する軍用技術の転用

災害用として開発されたものもあれば、軍用として開発されたものもあります。実は災害救助用ロボットという部分だけに限定すると世界的に見ても市場がそれほど大きくないことから、軍用として開発されたものが応用されるケースが多く見られます。たとえば不整地の走行能力や遠隔操縦などの部分は明らかに軍用と民間用の区別はありませんから、そういった部分は明らかに開発予算を持っている軍用での成果を民間用に転用する事が多い世界なんですね。

因みに今更軍用技術の民間転用なんてそんなに無いでしょう?と思われる筋もアルかもしれません。ただ、大きな流れを見る限りコストを(完全にでは無いですが)度外視して必要な目的のために何かを開発する事が出来るという環境で出来上がるものからその後民間に転用される技術は存在します。もちろん民間技術の軍事転用は当然ありますし、中には民生用の機器がそのまま軍事転用されているケースもあります。

でも議論の中心はそこではなくて、要は「実用化させることを前提で必要な資金と労力をかけて作られるモノ」の世界と、「とりあえず開発したけれど実用化できない、あるいは実用化させてもらえないモノ」では比較にならない溝があるという部分です。

これは例の原発にしても、あるいは広義の災害対策にしても、最悪の状況を想定することが許されないとか、想定したとしてもそれに対する対策を許されないとか、そもそも(社会的なインフラなど全体が)通常通り運用できている状態での想定しかしていないとか、以前からそういった環境があるんじゃないかと私は常々主張していたのですが、図らずもそれが露呈したという話なんだろうなと思っています。

 

でもなんでそこまで(ある意味)危機感を煽るような事を言うのか

自分の話をしても大したコトでは無いですが、足掛け20年も展示会を中心としたイベントを主催したりしていると、100個目の対策のむこうで101個目のトラブルが出るのは当たり前だし、でもそれすら想定して対応体制を作るとか普通にやっきたわけです。来場者が延べで8万人とかになると、それこそ半端じゃないくらいいろんな事が起きるわけです。そして幸か不幸か考え方の基本的なところが体の中に出来上がったという種類のモノは持ち合わせています。

もちろん私の場合には、あくまでもビジネスの場での経験の話。これが社会的なインフラや国家レベルの話に直結できる種類のモノでは有りません。ただ、基本的な考え方については全く同じだと思っています。規模は違います。必要なコストやら関係する人員、想定するべき期間などなど、全然レベルが違うのは100%理解しています。でも、考え方の基本的なところは同じです。

最高に上手く行っている状況から最悪の状況までを想定し、どこまでその中で責任を担保できるか考えること。

でも、大抵の場合、ある程度の責任を負うべきポジションに立つとどうにも難しいんでしょうね。そもそも自分がそんな経験してないでしょうし、そんな余計なことやって文句言われるのも嫌だろうし。でも、その結果招いた最悪の結果や物事が上手く行かない状況は例えば私から見ると最悪の「最悪の状況」のような気がします。ただ、更に最悪なのは、(別に私がそうだとかオコガマシイ事は言いませんが)少なくとも私の観測範囲において何かしら修羅場をくぐった人が一定のポジションで全体を統括するような組織を作る事って難しいなぁと感じる事だと思っています。

過去の成功体験におぼれるのは良くない。もちろん酷い目に遭った体験に埋もれるのも良くない。でも、修羅場を超えた中で感じる肌感覚やらを含めた部分っていうのは生かされるはずだし、生かすべきだし・・・と思うんです。

そもそも「それは難しいから駄目だよ」といい続けていたいろんな事それ自体が駄目になっている事例が幾らでも見える今だからこそ。

 

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