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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

キュレーターに頼ってどうするんだよ>自分

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情報を集めて整理してゆく仕組みとか役割について、過去から今そして今後と多分色んな看板が付くわけですが、本質的なところでの行動というのは何も変わらない訳です。そして媒体が紙主体からネット上での情報に軸足を移してきているとしても、本質的な行動は変わらない。

もちろん諸々便利にはなってきてるし、手にする事が出来る情報の量も早さも変わってきてるのは事実なんだけれど・・・

 

誰がソースなんだよ論、あるいは何処がソースなんだよ論は終わらない

色んな人やサービスが色んな情報を集めたり整理したりまとめたりしてくれるありがたい状況があるわけですが、私自身は以前から「その主体は一体どんな曝グラウンドを持ってるのかってのが理解できていないと諸々誤解を生むよね」という主旨のコトを言い続けています。たとえそれが報道機関であろうが通信社であろうが、もちろん個人レベルに至るまでそれを伝えてる主体はどうなのかというスクリーニングの後でないと接しちゃいけないし、初めて接するなら裏を取らなくちゃいけない。なぜなら良い悪いは別にして必ず何かバイアスがかかっているから。その情報を取り上げるのには必ず何か意味があるから。

いや、そんな難しい事はないんじゃないのって?いや、その思考はいわゆる「お花畑」と呼んでよいと思います。あくまでも個人的な感想ですが。

 

どれが本来のネタなの?どれが続報なの?そして、どれが誰かの解説なの?

見つかるかどうかは別にして、必ず何かの情報にはソースがあるわけです。それも1次ソースが。そこにたどり着いて「そもそもはどういう話なの?」ってのをキチンと押さえておかないと、途中の変なバイアスがかかったネタを本来の姿だと誤解してしまいます。だからこそ気になる情報は自分であたるしかない。自分で掘り下げるしかないわけです。そこをネグって表面上のヘッドラインだけを追いかけていると、それこそ「機内誌症候群」のように、宇和滑ったキャッチコピーのような情報だけが頭を支配してしまいます。

これが所謂「裏取り」です。よくよく考えると、自分の専門分野と言える分野については基礎的な知識があったりするから、目の前を流れてゆくヘッドラインだけを見ていても見える流れとか背景はあるわけですが、そうでないならキチンと深入りして勉強したほうがいい。で、それをしないなら四の五の文句を言ったりしない。中途半端に口を出さない。それが大人と言うもんだと思います。逆に自分の専門分野に中途半端に口を出されたら、やっぱり誰しも少なからず心中穏やかならぬ状況になると思うんです。「何言ってんだよ、素人が!」って。たとえ口に出さなくても。

でも、そんな時間のかかりそうな事を自分でしなくてもって?いや、その思考もいわゆる「お花畑」と呼んでよいと思います。

 

ってことで日々情報を漁るとぶち当たる壁

たとえば通信ネタにしてもIT系の話にしても、国内の状況だけを追いかけていては何の役にも立ちません。物事は世界中で同時に起きているわけですし、日本だけで完結する業種業態でもない。ということで、当然ですが海外の動きをキチンと押さえていないとわけが判らなくなります。ただしここにも大きな罠があって、日本語になっている情報だけを追いかけていても実は全然駄目です。もちろん最初から日本語で書かれたものを追いかけることには意味がありますが、海外発の情報の日本語版と言うのはあくまでも抜粋であると言う位置づけで接しておかないと、色んな誤解を生む事があります。

もちろんそれを翻訳する媒体社なり個人なりの努力と成果は認めるべきですし、ネイティブな日本人として海外の情報に日本語で接する事が出来る状況には感謝するべきですが、それが本当にそうなのか、これが全文なのか、ニュアンスは正しいのかというところの判断は最終的にその情報に接する個人の責任に帰属するわけです。

ただし、私の場合で言うと残念ながら「ネイティブ・ジャパニーズ・スピーカー」な私が理解できる英語の世界というのは限りがあります。更に残念な事に英語以外の言語、たとえばフランス語やドイツ語、スペイン語、中国語などなどは挨拶以外は全く解しません。したがって内容の理解力以前に自分の英語の読解力、および原文の英語への翻訳力に非常に強く依存するという致命的な欠陥、正にアキレス腱を持っているわけですが、少なくとも同じ情報として接する人の数が桁違いなほうの情報に直接触れることは絶対に損じゃないはずなんです。少なくとも私の場合には、そう信じてそれらの情報に接するようにしています。

でも、英語わかんないし、日本語になってる情報だけで足りてると思ってるんだけどって?いや、その思考は「お花畑」ですらないかもしれません。もちろん状況次第ではありますが。

 

そして日本語のヘッドラインから英文(というか原文)の元記事をあたるという二段構えの情報収集の罠にはまる

気が付いたらブラウザーで最初から立ち上げるタブの数がドンドン増えます。自分的には国内の報道機関、通信やIT系のメディアだけでなく、通信社系や海外籍の報道機関の日本語サイトなども結構頻繁に巡回しています。中にはそもそも日本語版サイトが存在しないところもあったりしますが、とりあえず見出し確認サイトとしてみるような雰囲気があるかもしれません。で、とりあえず気になったところは日本版サイトでも一旦読んでみて、その後に元ネタのサイトに飛んでゆく事がよくあります。いわゆる参照先としての元ネタサイトだけではなく、英語の本家サイトからの翻訳記事である場合にそっちにも行ってみてみてざっと読んでみるという動きですね。

で、私程度の英語力でもニュアンスの違いを発見したり、実は日本語版の情報は要約であることに気が付いたりする事が無いかと言うとそうでもない。もちろん理由があって要約されていたりするわけですが、切られた情報の中に「こりゃ確かに向こうの事情を知らないと判らないな」とか「とりあえず日本には直接関係ないと思われる部分を切ったな」とか判る事があります。でも、実はその部分の情報がその後の何かの動きの背景になっていたりした事が無いかと言うと、実はこれもそうでもない。全部が全部深読みするのは難しいですが、そのあたりも意識しつつ情報に接するのは大切な事だとおもって、英語力の無さを嘆きながら情報に接する毎日です。

でも、やっぱり英語わかんないし、そんなの無理だよって?う~ん。その後は自分自身の情報に対する要求レベルの設定の仕方になるんですけどね。

 

そして宙に浮くキュレーターという存在

その「キュレーター」が個人である場合、その人の軸が判らないと情報にどう接してよいか判らないんです。たとえばその主体が法人であれば幾つかの判断軸を作りやすく判りやすいのですが、個人である場合に軸のぶれ方が見えないケースが多いので、正直何を考えてネタを拾ってくるのかよく判らないんです。

因みにそんな事を、たとえばオルタナティブブログという場で文章を書いている私が言うと正に自爆ネタになるわけですが、一応そこを補足すると、ある程度のバックグラウンドと思考の方向がわかる個人であれば、その人が気になった情報にはそれなりの立場と見方で接する事が出来ます。そのあたりを何が担保するのかというところが非常に大きな問題。当然ですがそれをシステム的にやろうとするとロジックを組んだ方法とかが見えない部分、単純にキーワードで引っ張ってくれるくらいのいい加減さであるほうが気が楽です。変にリコメンデーション系のロジックなんて組んでくれなくて良い。少なくとも私はそう思っています。

このあたりが元々「集合知」ってどうよ?という懐疑論、ソーシャルな何かの中でみんなで何か作り上げようよってどうよ?という懐疑論、更には既存の仕組みと違うものをみんなで作り上げようぜって話が実はアナーキスト的な方向や原理主義的方向に見えて恐いよ論などといった訳の判らん私の主張に結びつくんですが、まぁそれは私の個人的な考え方の問題。ただ、何れにせよ、乱れ飛ぶ情報から何を担保に取るか、あるいは何を担保として情報に接するかという姿勢を持ち続けないと、なんだか色々と紆余曲折するハメに陥るよね、というコトを考える今日この頃です。

 

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