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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

非常時の体制を非常時に機能させるために平常時にやっておかなくてはいけないこと

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3.11の震災とその後の諸々の動きの中で、非常事態に対して如何に対応するか、そしてそのための体制をどのように考えるかという話が目に入らない日は無いと言っても良いかも知れません。でも、冷静に考えたとき、今からそれを考える事って一体今まで何をしてたんだよと思うことが無いかと言うと嘘になる。もちろん震災をキッカケに真剣に考える事は大事です。

でもね・・・

 

何をどこまでを想定しておくのかと言う視点

たとえば東海地方から東の地域においては何れ大きな地震災害が来るであろうと言われて来た訳です。その災害の想定規模や発生場所も正しいかどうかは別にして公的機関や学術機関などから多くの情報が既に展開されてきているわけです。そもそも日本は世界に類を見ないくらい地震の多い島で構成された国です。

で、もちろんそれらいろんな情報や想定を元に建物の耐震基準が見直されたり、たとえば都内で数百万の単位で発生するであろう帰宅難民の対策についてどうのこうのと言われたりしてきたわけです。もちろん全ての人にとって自分の目の届かない分野の話、あるいは自分の知りえない範囲での出来事が結果的に想定される事態にたいしてどのようになってしまうのかというコトを、ぐるっとまわってくる自分の問題として考えるのはあまり簡単ではありません。でも、たとえば帰宅難民化したり電気ガス水道通信と言ったインフラがダメージを受けるのは当日だけの話ではないわけです。

更に言うと、今回の災害が過去に例を見ないほどの広さに亘って爪あとの深さをもたらしたのは事実ですし、そもそも自然災害はそれ対して人類が考えてきた全ての想定を簡単に超える規模で起きることが幾らでもあるというコト。ここは謙虚にならざるを得ない。

少なくとも何かしら想定をして置くことは間違いなく大事な事。
でもそこでもっと大事なのは、想定を超える事態は必ず起きるという想定をしておく事。

 

規模を想定するのではなく、どう対処するべきなのかを想定することの重要性

ありとあらゆる想定が必要になるはずです。でもそれを一人で、ひとつの企業で、ひとつの地域で考えるのは大変な事です。そして過去から常にあるのが「何時起きるかわからない事態に備えるのは無駄だ」論との戦い。もうひとつ言うと、多くの人の頭の中にある「日本のインフラは世界最高レベルの品質であり、しかも(高いのかもしれないが)湯水の如く手に入るのだ」論のバイアス。

じゃぁということでココで例の原発に纏わる話を取り上げると面倒くさい事になるので止めますが、いずれにせよ何かしら災害が起きたときに、普段使えているものが使えなくなるのを想定しているかどうか、それが何ヶ月続くという想定をしているのか、元通りになれる種類のものなのかという想定をしているのか。

別に何が正しいとは言いませんし、実際のところ正しい一意の解答がある話でもありません。でも、それらが全然駄目になってしまったとき、それが数ヶ月や数年にも及ぶときにどうするのかという最悪の状況までを考えておく事は決して損ではないはずだと思うんですね。災害には必ず人身の損耗が伴います。経済活動の状況によって失業する人も出ます。地域の居住状況や経済環境も変わります。絶対に元に戻せないものは数限りなく出てきます。それを前提とした想定が成されてきたのか?多分それを考える勇気のある人はそれほど多くは無いんじゃないかと思います。でも、もう逃げも隠れも出来ないんですよ。

因みに、近い将来の問題として、どの程度であれ少なくとも普通に想定できていたはずの状況を前提にした対策はキチンと取られてきたかという検証が必要じゃないの?という話がキチンと行政や各企業、そして個人の中でされるべきだと思っています。緊急対応ということでこんな事をやりました!と高らかにプロモーションする企業もあれば、「普段からやっていることですから」と淡々と復旧に携わり続けているところもある。まぁそれぞれですけれど。

 

でももっと大事なのは、非常時に動かす体制を非常時に機能させるために平時にやっておく必要がある事を理解し、それを実践すること

例えが例えなのですが・・・ たとえば今回の震災での支援活動に自衛隊やアメリカ軍が凄まじい勢いで極初期から現場に入ったわけですが、たとえば全世界のそういう部隊が普段何をやっているかという話。ちょっとタッチーな話になりますが、規模はどうであれたとえば必ず定期的かつ継続的に実弾演習を行っているわけです。理由は簡単。普段から自分たちが使うべきものそれ自体を普段から使っておく必要があるというコト。

元々銃器にしてもいろんな装備にしても、その使われる場や状況、そしてそれ自体は非常に大きな危険を伴うものです。活動自体も体力気力知力が強く求められます。なまじ座学や机上シミュレーションだけではいざそれを使う場になったとき、実は全く機能できない。だから訓練であってもそれ自体を実際に使い続ける場が必要とされるわけです。それこそ真っ暗闇のなかで銃器の分解整備ができ、自分は何を持っていて目の前の状況ではどれを掴みだしてどうすれば良いか、そしてそんな場でどのように走り歩き乗り越え生き延びるかなどを体に覚えさせる必要があるわけです。

普段から使える状態を維持し、必要なときにそれらを利用できるようにすること。

たとえば何かしらのシステムや仕組みを災害時のためのバックアップ手段として保持するだけではなく、普段から何らかの段取りをもって定期的に切り替えるとか、縮退運転を行うとかなんだか、まぁそれぞれいろんな手段と方法があると思います。

たとえば在庫をあまり持たない流通や製造の仕組みは平時に最適化されているものですから、そのどこかが途切れると全体があっという間に機能不全をおこしてしまう。本質的にサプライチェーン全体としての非常に強い脆弱性を持ち合わせていると言えるわけです。

事故は事故であり基本的に事故を起こさないという前提であればそれでも良いわけですが、既に何かしら支障が常にアルという前提で物事を考えておく必要があると思うんです。というか、そこの視点が今まで余りにも蔑ろにされてきたと思うんです。

 

これが、私が事あるごとに「備えよ常にの考え方が大事だよ」といい続けている事の本質かもしれません

もちろんコストの問題や市場のなかでの競争原理のなかで余剰と判断されやすいものや不要とされる可能性が高い、そもそも無駄を生む考え方であるといわれる事が多いのも良く知っています。でも、まず事故はある、災害はあるという前提を持つ事がとても大事だと思うんです。そしてそれと並行して(当然ですが)事故は起こさない、あるいは災害の被害は最小限に抑える努力は怠るべきではないとは思います。でも、絶対に何も起きない起こさないというのを前提にするのは間違いだと思っています。

 

因みに災害の場合、これはどのような被害想定でも成されていることですが、必ず人身に損耗が出ます。必ず死者もけが人も出ます。悲しい事ですが、それは仕方が無い。そして事後にいろんな形で二次災害と呼ばれるような被害、更には長期的にいろんな影響が人にもモノにも社会にも残るものです。それらも含めて、最小限にとどめるようにするのは当然ですが、それがあるという前提でどうするべきかと言うのを平時からみんながそれぞれのレベルと立場で考えるべきだと思います。

 

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