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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

事実とは何か、真実とは何か。そして雑学のススメ

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情報が錯綜する中、一体何が起きているのか、それは何故起きているのかというコトをキチンと考える必要があるのは誰しも理解できる話。それでもねっていうところでいろんな思惑や意図やらが入り込んでくる。憶測、噂、流言などどれがノイズなのか、その瞬間には判らない。その瞬間に自分が持っている情報を受けるルートの広さが問題になるわけだけれど、一番とっ散らかっているときにいろんな情報から正しい情報だけを選択する事と言うのはとても難しい事。

そしてそこに、事実と違う話や真実とは異なった理解が広がる余地があるわけです。

 

今の自分がどういう状況にいるのかを冷静に見るという訓練

何もおきていない状態のなかで、そんな事を考え続けるのはとても難しい事です。でも出来ない話ではない。耳障りの良い情報だけに接してくると、これまた難しい事になる。自分の思想や信条に会うところだけを追いかけていると、更に難しい事になる。

でも、多分基本は同じなんです。まずは仕入れた情報が1次ソースから語られているものなのかどうか。全てはそこに帰結します。なにかの状況が起きているとき、自分がその場にいるかどうか。つまり自分自身が1次ソースとなれるかどうかというところで、謙虚に自分の立ち位置を確認すること。

ただし、自分自身が1次ソースであっても、目の前で起きた状況は事実であったとしても、まず自分が知りえるのはその部分だけ。何故そうなったのか、何故そうなっているのか、そして今後はどう変化してゆくのか。事実から見えることは意外に多く、また意外に少ないものです。

 

何かを判断する前に、自分はその事象について基礎知識をもっているかどうかを考え直す

「○○はこうだから、きっとこうなるに違いない」という思考の流れは普通にあると思います。ただし、その事象に対しての基礎知識があればともかく、何も無いけれど誰かがこういってるし、あの人は有名だし、だからきっとこうなるんだよ、見たいな話になることもあります。

でも、その「あの人」がその事象の専門家であるかどうか、その事象に対するきちんとした知識なり経験があるかどうかの評価とは別の次元でそれが行われうる事ってのは良くある話です。もっと突き詰めると、その事象の経験があるとして、それはどういうものだったのかって言うところもなんだかモヤモヤ。別にどこの誰を指している話でもないですが、でも、そういうところをキチンと見る必要がある時もあると思っているんです。

で、もちろん大抵の場合、自分自身はその事象について素人です。趣味が高じて非常に高い知識と素人離れした経験を持ってるものがあるかもしれませんが、世の中の全てのコトを知っているわけではないし、何かを決める、あるいは何かをするルールやら裏側の事情を知っているわけではない。

ではどうすればよいか。何か言い出す前に、まずは自分で調べようよ、ってのが私のやり方です。

 

雑学のススメ

正直、ネット上で調べて判った気になるのは駄目だと思っています。正確に言うと、ネット上で探し当てた解説のページに載っている程度のモノでは判ったうちにはならないと思っています。

なんで?チャンと情報一杯でてくるじゃんって?

だって、インターネットサーチのエンジンがどういうアルゴリズムで結果を出しているかって考えた事があります?そこから得られるものと言うのはどういうモノなのか考えてみませんか?もちろんそれなりに多分求めるようなものは出てくるけれど、きちんと文献をあたるのとはちょっと意味合いが違うと思うんです。

じゃぁ、結局本を読めって話?

私的には、それが正しいと思います。もっと正確に言うと、ひとつのお題について複数の「文献」をあたる必要があると思います。決して近道は無いと思います。それは学生の頃の勉強と同じ。で、あるところから周辺情報を聞きかじったところで何となく「あ~、それってあの流れだよな」みたいなところが判ったりする。それがコンテクスト。 

もちろん、世の中の全てを知ることは出来ない。でも、知る努力をしない限り、目の前の事象についてキチンと考える事もできず、扇動に踊らされる事になるんじゃないかと思うんです。結果的に。

 

たとえばWebで拾える情報だけではなく文献をあたりなさい。自分にとって心地よい情報と反対の意見にも触れて憤慨して頭の中で反論の論証をしなさい。日本の情報だけでなく海外の情報にもキチンと接しなさい。

要はそういうコト。

 

目的意識の持ち方と情報への接し方

自分自身、常に全部キチンとできる訳が無い。でも、その姿勢と行動がなくなったら、駄目です。絶対に駄目です。知らないことに対して四の五の言うべきではない。知らないことを自慢しちゃいけない。知る努力を怠ってはいけない。判断の軸をどこかにキチンともち続けなくてはいけない。
そう自分に言い聞かせる今日この頃です。

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