情報を持っている事自体はどうでもよい話。問題はそれをどう思ってるかという、自分としての意見を持っているかどうかだと思うんですよ
ブログでも何でもいいんですが、色んな事をご存じの方って一杯いらっしゃいます。っていうか、少なくとも私自身が自分の専門分野だと思ってる内容以外に詳しい方ってのは世の中に五万と(っていうかもっとですね)いらっしゃる訳で、それぞれの方の知見に及ぶべくもない自分の知識の浅さを今更呪ってもどうしようもない訳です。ならばそういう方々の見識を自分の肥しにとか思っても、実はよくよく考えて接すると実は客観的(と思える程度)な事実関係だけを淡々と述べて、じゃぁそれに対してどう考えているのかという意見の部分が殆ど欠落しているケースが実は結構あります。
立ち位置の問題?いや、わかりませんけど
ある事象を一体どう理解して、それはどうあるべきだと考えているのかを聞きたい
僭越ながら、私の場合たとえば真面目に他人の話を聞く一番の目的ってのは、これに尽きます。全く新しい話を聞くのなら別に何でも良いのですが、ある程度自分も知っている話、あるいは自分も何かしら意見を持っている話について誰かに意見をうかがうときには、「その事象をどう理解していて、それはどうあるべきと考えているか」という部分を聞きたい。それが自分の思う所との差分を図るところですし、それが無いなら別にその人に話を聞く必要はないし。
いや、ちょっと冷たい言い方かもしれないんですが、でも事実そうなんだから仕方が無い。でも、もちろんそんな振りして実は全然どうでもよい話をしたいとか、それは前振りで本題は別だとか、あるいは単にそれを口実にとにかくアホな事を一緒に喋っていたいとか、実際には人と合う理由とか話をする理由なんてのは一杯あるんですが、とりあえず真面目な時には真面目にそういう話になる。
主義主張の問題?まぁ、多分そんなもんでしょうね
知りえた情報だけを伝えるなら、余計な解説はいらないのでその元の情報へのポインターだけください
正直こんな風に思うことがゼロではありません。もちろん大人ですから面と向かってそんな事を言うことは基本的にありませんし、そもそもシャイで内気でナイーブを売りにしてる(という謳い文句の)私がそんな事を臆面もなく相手に伝えることってのは至難の業です。
でも、その瞬間の情報だけを伝えるのは通信社とメディアの速報だけで良くて、それに意味不明のコメントを付けて煽るだけ煽って、で、多分きっとおもしろいことになりますよ、でも自分は関係ないけどねって突き放すような話し方は私には出来ないんですよ。これは多分自分のブログを書くという行為が仕事に直結しないようにしてるという姿勢に起因するのかもしれません。基本的に視線はあくまで自分の等身大の視線であって、誰かに何かを下知するとか、誰かに上申するかとか、そんな立ち位置ではないんですね。そこがおおきいのかも。
で、結局はモノの言い方の問題?まぁ、そうかもしれませんね